ディスカバー・ニッケイ

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福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

@fukuda

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)


この執筆者によるストーリー

人材会社経営、故郷とロサンゼルスの交流に尽力 ~ 照子・ワインバーグさん

2019年3月1日 • 福田 恵子

結婚で渡米、夫との死別、派遣職から社長に登りつめる ロサンゼルスの人なら、「照子は人が大好きです」のフレーズで締めくくられるテレビコマーシャルを覚えているのではないだろうか。このコマーシャルに自ら出演していた照子・ワインバーグさんは人材会社の経営者に留まらず、ロサンゼルス名古屋姉妹都市委員会の委員長の他、日米協会の理事などボランティア組織での活躍ぶりでも知られている。 照子さんは愛知県一宮市の出身。東京で働いていた時に出会ったアメリカ人のワインバーグさんと結婚するこ…

日本人社会とデトロイト現地社会をつなぐ元駐在員、大光敬史さん

2019年1月28日 • 福田 恵子

アメリカの自動車産業の中心地、ミシガン州デトロイト地域には、駐在員を中心に一大日本人コミュニティが形成されている。ここに日本人コミュニティと地元社会をつなげるため日本文化を紹介する活動に従事している元駐在員がいる。大光敬史さんだ。 アイシン精機出身の大光さんは1979年にデトロイトに赴任、主に技術開発と研究所の運営に携わった後、2018年6月の引退後も帰国せず、現地に残る道を選択した。できる限り長くアメリカで暮らし続けたいと語る大光さんは、2016年に創設されたJapan…

1990年渡米、沖縄料理店経営するバーガス真弓さん

2018年12月31日 • 福田 恵子

20歳で米軍人と結婚 沖縄料理の店はビジネスとしては成功しないというジンクスを破って、2018年の12月で開店8周年を迎え、盛業を続けているのがロサンゼルス郊外オレンジ郡のタスティンにある沖縄食堂ハブ家。開店の3カ月後にロサンゼルスタイムス紙に「隠れ家的日本料理の名店」として紹介されたのがきっかけとなり、人種問わず、多くの常連客で賑わうようになった。 店内には、常連客が沖縄旅行の土産として持ち込んだ置物や、オーナー、バーガス真弓さんがアーティストとしての一面を発揮した手…

沖縄出身者のネットワーク作りに生涯捧げた金城武男さんを偲ぶ

2018年12月7日 • 福田 恵子

インターネットがない時代に 2018年10月20日、北米沖縄県人会の会長も務めた「五大洲」の発行人、金城武男さんがロサンゼルス市内の自宅で亡くなった。享年96歳。 金城さんには二度取材させていただく機会があった。一度目は、在米日本語雑誌のフロントラインに「アメリカの中の沖縄」という特集記事の取材をした際だった。アメリカで活躍している新旧世代の沖縄出身者数人を人選していた時、同じく元の北米沖縄県人会長の当銘由洋さんに「金城武男さんは絶対に取材するべきだ」と強く薦められ、話…

1984年渡米、レストラングループ率いる上地勝也さん

2018年11月23日 • 福田 恵子

現在、全米にパートナー企業と共同経営するレストランを含めると25店を展開している、日本料理のシェフであり起業家の上地勝也さん。今や業界関係者は言うまでもなく、カツヤ・ブランドの店を通じて彼の名前はアメリカに浸透している。 2018年10月には有名シェフを一堂に集めて開催されるラスベガス・フード・アンド・ワイン・フェスティバルのヘッドライン・シェフに選出された。勝也さんは同フェスティバルでマグロの解体ショーをプロデュース。和太鼓が響き渡り観客の期待が高まる中に登場し、260…

「この存在を埋もれさせてはいけない」一心で書籍化された小児園の本

2018年10月26日 • 福田 恵子

ロサンゼルスにかつて存在した「小児園」 2017年9月、私が所属する南加大分県人会の創立100周年記念式典が、ロサンゼルス郊外で100名近い参加者を集めて盛大に開催された。その時の特別ゲストの一人に、ミコ・ヘンソンさんという女性がいた。彼女は大分県出身者ではない。その年に日本で出版されたばかりの「六市と安子の小児園」という本の書籍化に尽力された女性で、その楠本六市の生まれ故郷が大分県宇佐市だった。 六市は戦前、ロサンゼルス市内に孤児たちを受け入れて世話をする小児園を…

1974年渡米のハワイアンレストラン・ボブズ経営者・佐藤公昭さん

2018年10月5日 • 福田 恵子

基地の中には憧れのアメリカ 観光客として数度ハワイを訪れただけの私でも、懐かしさを感じる店がロサンゼルス郊外のガーデナにある。店の名前はボブズハワイアンスタイルレストラン。その名の通り、ボブのハワイ料理の店だ。現在の経営者は、前オーナーのボブさんから譲り受けた佐藤公昭さん(以下キミさん)。日本からの新一世であるキミさんの代になっても、店は変わらずハワイ出身者の常連客の支持を集めている。その秘密は何なのか、キミさんはどのような半生を歩んできた人なのか? キミさんには、常連…

ジョナサン・ゴールドも絶賛の日本料理店 LA「Shibumi」のデビッド・シュロッサーさん

2018年9月10日 • 福田 恵子

立ち寄った日本が人生を変えた 今や、ロサンゼルスはもちろん、世界規模で日本料理のレストランは増え続けている。しかし、問題は料理人だ。日本で修業した日本人の板前は数が限られている。そこで、20年ほど前から、寿司を中心に日本料理のシェフを育成する教育機関がアメリカ国内に設立されるようになった。それから時は経ち、多くの卒業生が業界に巣立っていったが、それでも日本料理のシェフとして名を成した非日本人はほとんどいないと言っていいのではないか。 そんな時、2016年の夏、レスト…

過去の「敬老」と現在の「KEIRO」を巡る思い

2018年8月29日 • 福田 恵子

人々が出会う場所 ロサンゼルス周辺の日本人や日系人で、敬老のことを知らない人はいないだろう。1960年代、故フレッド和田さんを中心とする8人の日系社会のリーダーによって、ロサンゼルスのダウンタウンを見下ろす高台に敬老引退者ホームが開設された。日本語のサービスや日本食が充実しているとあって、日本人や日系人が引退した後は安心の老後を過ごせると大変な人気を誇っていた。入居するには何年も待たなければならないほどで、知り合いの中には「入居の順番が少しでも前になるように、毎年、寄付金…

1988年渡米、ラーメンブームの火付け人、甲山貴明さん

2018年7月26日 • 福田 恵子

客の求める味 その店がリトルトーキョーのファースト・ストリート沿いに開店した当時は大きな話題になったものだ。時は2002年、店の名前は「大黒家」。とんこつラーメンを出す店として日本人のみならずアジア系を中心に人気を集めるようになった。店の前に張り出した黄色に黒字の看板の下の行列がいつしか馴染みの光景となった。 この店のオーナーが甲山貴明さん。今では12のレストランをロサンゼルス界隈に展開している毘沙門グループのトップだ。甲山さんは今からちょうど30年前の1988年、…