人と違いを指摘する日本、自由が認められるアメリカ
ミカルペイン慶さんと知り合ったのは、彼女の夫の死後、2021年に彼女が立ち上げた事業を取材したことがきっかけだった。2020年の1月にがんを宣告された慶さんの夫は、同年3月に亡くなってしまう。短いが、しかし壮絶だった介護生活を終えた後、慶さんはまだ4歳半の幼い息子とアメリカに取り残された。
慶さんが渡米したのは、夫の死のわずか4年前のこと。「主人と私は日本で知り合い、13年に結婚しました。子どもが生まれた後、彼は家族のためにアメリカに拠点を移したいと希望し、私もその決断に同意しました」。慶さん一家がアメリカでの拠点に選んだ場所はカリフォルニア州のオレンジ・カウンティーだった。
しかし、その時が彼女にとっての初めてのアメリカではなく、夫と子どもとの渡米から遡ること20年ほど前、1年間フロリダでホームステイ生活を送った経験があったのだと振り返る。
「私は父が日本人、母が日本に帰化した中国人というハーフです。それで、高校卒業後にフロリダ在住の母の中国人の知り合いに声をかけられ、ホームステイすることになりました。小学生までは私は無邪気な性格だったのですが、高学年くらいに家に呼んだ友達から、『お母さんの日本語、たどたどしいね』と言われたり、家の中国っぽい装飾をいじられたりしたことがきっかけで、内にこもるようになってしまったのです…