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1988年渡米、ラーメンブームの火付け人、甲山貴明さん

客の求める味

その店がリトルトーキョーのファースト・ストリート沿いに開店した当時は大きな話題になったものだ。時は2002年、店の名前は「大黒家」。とんこつラーメンを出す店として日本人のみならずアジア系を中心に人気を集めるようになった。店の前に張り出した黄色に黒字の看板の下の行列がいつしか馴染みの光景となった。

自身の思い入れが詰まった八王子ラーメンを出す店での甲山さん

この店のオーナーが甲山貴明さん。今では12のレストランをロサンゼルス界隈に展開している毘沙門グループのトップだ。甲山さんは今からちょうど30年前の1988年、24歳の時にアメリカに渡ってきた新一世。渡米の前後を次のように振り返る。

「日本では6年間、料理人として働いていました。しかし、そこの店がクローズするのをきっかけに、一度海外に行ってみたいという気持ちでロサンゼルスに渡ってきました。それまで海外には一度も行ったことがなかったんです」

海外で日本食の腕を試す、といった覚悟の渡米ではなかった。それでも、日本では割烹の店を任されていた甲山さんは、知り合いの紹介で、すぐにコビナの日本食レストランから声がかかった。即戦力として期待されたに違いない。しかし、日本とは異なる事情に戸惑うことも多かった。

「日本だったら、この料理には醤油、といった決まった組み合わせというものがあります。しかし、アメリカでは本来なら醤油のところを、お客さんが求めているからケチャップを出したりするわけです。それに対して『日本ではこうですから』と押し付けたところで、料理人の自己満足になってしまいます。私はお客さんに喜んでもらうために、アレンジして新しいものを出していました」

こうして「アメリカの日本料理」の道を邁進した甲山さんがちょうど30歳の時、独立という転機が訪れた。それまでスタッフとして働いていた、コビナの店を前のオーナーから引き継ぐことになったのだ。そして新たに「毘沙門」という名前でスタートを切った。

独立後は順調だった。ところが、オープン4年目に火事で店が焼けてしまうという災難に見舞われた。「再開の目処がまったく立たない状況で、従業員たちは他の店に移っていきました。しかし、なんとか1年後、店の再開に漕ぎ着けた時、一度辞めた従業員たちが勤めていた店を辞めて、うちに戻ってきてくれたんです。彼らには助けられました。また、宣伝や告知など一切出さなかったのに、常連のお客さんたちも噂を聞きつけて、再び通ってきてくれるようになりました」

多店舗運営の鍵は従業員との密なコミュニケーションだと語る


昭和のラーメン屋開店

こうして最悪の時期を乗り越えた甲山さんは、毘沙門に続く2件目として、リトルトーキョーにラーメン店の大黒家を開けた。しかし、これは計画的な出店ではなかった。

「大黒家の前にあった店のオーナーがうちの店のお客さんだったんです。ところが、経営に行き詰まり、私に『頼む』とだけ言って、鍵を預けていなくなってしまいました。その店をどうしたらいいだろうと途方に暮れましたが、昭和のイメージのラーメン屋にするのはどうかと思いついたわけなんです。築100年以上の古い物件だったので傷んでいるし、リモデルも難しい。だったら、その古い雰囲気を逆手にとって昔ながらのラーメン屋として営業しよう、と、追い詰められた結果、苦肉の策で大黒家は誕生しました」

大黒家の看板メニューのとんこつラーメンも、完成までに長い時間をかけたわけではないと言う。

「日本では手打ちの蕎麦もやっていました。もちろん、ラーメンについて勉強し、自分なりに考えて試作しながら作りました。しかし、完成までに時間をかけたわけでもなければ、開店して16年経った今の段階でも完成とは言えません。あれから多くのラーメン店がここロサンゼルス周辺にオープンしました。大黒家のラーメンも常に進化させていかないと、他に美味しい店ができたらむしろ退化してしまうことになります。だから、今でも従業員と一緒に、さらに良くするためにどうすればいいかということには取り組んでいます」

大黒家が開店した2002年当時はラーメンに対する認知度も低かった。「スーパーでは数10セントでカップのヌードルを買えるのに、なぜ、ここでは6ドルも7ドルもするのか」「スープが熱すぎて食べられない」とクレームする人もいたそうだ。ラーメンのステータスが非常に低かったと言わざるを得ないが、ラーメン店が増えるにつれ、そのような声は聞かれなくなった。甲山さんは「最初、リトルトーキョーにラーメン屋が増え始めた頃、うちの店の売り上げは減ってしまうかな、と心配したこともありました。でも実際、お客さんは減ってないんです。ということはラーメンの需要が高くなり、この街に人が増えた、ということだと思います」。確かに、大黒家ができる前と後のリトルトーキョーは大きく様変わりした。日系や日本人だけでなく、アジア系、日本好きな非アジア系の人々が街を歩く姿が日常的なものになった。

醤油ラーメンの浸透へ

大黒家の盛業をきっかけに、甲山さんは都ホテル内の多聞をはじめ、グループ傘下の店を増やしてきた。そして2018年5月、大黒家の数軒隣に開けたのが、「八王子ラーメン」だ。大黒家はとんこつで知られているが、こちらは東京の醤油ラーメンを看板メニューに据えている。「出身が東京の八王子なんです。刻み玉ねぎを乗せた、鶏がらベースの醤油スープ。自分が好きだった味を再現しました。とんこつは(アメリカ人に)十分に人気があるけど、これからは醤油ラーメンの魅力に気づいてほしいと願っています」と甲山さん。

リトルトーキョーのファースト・ストリート沿いに新しく開けた八王子ラーメン。右手奥に街のシンボル、火見櫓が見える。

渡米30年、リトルトーキョー発のラーメンブームの仕掛け人であり、12件の店舗を展開、ロサンゼルスの日本食業界では知らない人はいない存在となった今、彼のアイデンティティはどこにあるのだろうか?

「良くも悪くも完全に日本人ですよ。日本人としてどうすべきか、ということを常に考えています。ビジネス的にはアメリカ人のように割り切って考えた方が、時間がかからないのかもしれないけれど、なかなか変われないものです」

日本との往復は年に1、2回。アメリカでは日本の食を広めてきた甲山さんだが、故郷の八王子では、ハンバーガーやステーキを出すダイニングバーを経営しているそうだ。「常にノープラン。5年後のこともイメージできない。目の前のことに一生懸命取り組むのみ」と語る。甲山さんの芯にあるのは「日本の昔ながらの職人魂」と見た。

 

© 2018 Keiko Fukuda

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