福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。

(2008年2月 更新)

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南加大分県人会: 小規模組織の奮闘と100周年の成功

ロサンゼルスに渡ってきたのは1992年のことだった。当地にも県人会が存在することを知り、出身地の大分県人会にも多少関わりを持ったが、10年ほど前からは足が遠のいていた。

2016年秋、大分県の特産品をアメリカ市場に売り込むためにロサンゼルスを訪れた県一行と、南加大分県人会との交流会に参加する機会があった。ロサンゼルス生まれの長男が「日本での進学」を希望し、その年の初めから大分市の私の実家に移り住んだこともその会に顔を出したいと思った動機だった。そして、その交流会を私は心から楽しんだ。

その直後、現会長の會田裕二さん(以下、会長)から声がかかった。2017年に100周年を迎える県人会のイベントの実行委員への指名だった。他の顔ぶれは、不動産エージェントのトーマス・アコさん、引退生活を送る山澤まりこさん、渡米前は大分市で学校を経営していた釘宮史子さん、開教使夫人の庵原えりさん ...

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「アメリカの映画に出演したい」 幼少時の夢を叶えた日本の女優、田村英里子さん

ドラマ撮影の合間に語学留学

1990年代、日本の芸能界でアイドル歌手、また女優として活躍していた田村英里子さん。彼女は2000年に渡米し、数々のオーディションを受けた後に20世紀フォックス製作の「ドラゴンボール・エボリューション」や人気ドラマ「ヒーローズ」の主要キャストの座を獲得した。今もロサンゼルス市内で暮らす田村さんに話を聞く機会があった。

幼少期を父親の赴任先だったドイツで過ごし、帰国子女である田村さんが目指した場所が、なぜアメリカだったのかを最初に聞くと次のように答えた。「小学校6年生の時にドイツの映画館で『ET』という映画を初めて見たとき、ワクワクして、胸が騒いだことを今でも覚えています」

しかし、アメリカと自らの夢がつながるのはまだ先の話。少女時代の田村さんの最初の夢は、日本でアイドル歌手になることだった。小学生の頃にドイツで定期購読していた日本の雑誌を眺めては ...

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平和活動家、90歳で逝去 — エネルギーの人、据石和さんを追悼する

「おばあちゃんと呼んで」

据石さんは平和講演を行う際、冒頭で「私の事をおばあちゃんと呼んで」と聴衆に呼び掛けた。一般的に、原爆の話になると、落としたアメリカと落とされた日本とでは互いに対立してしまうことも多い。「数十万人の罪のない市民の命を奪った」と日本側が訴えれば、アメリカは「あの原爆のおかげで戦争を終結させることができた」と正当化する。しかし、実際の被爆者である据石さんの場合、「私をおばあちゃんと呼んで。私の話をどうか聞いてちょうだい」と親しみを持って話しかけることで、聞く者の懐にすっと入っていった。

生涯を平和活動に捧げた、在米被爆者協会会長の据石さんが、2017年6月12日にロサンゼルス郊外トーランスの自宅で亡くなった。享年90歳。1927年にロサンゼルス、ダウンタウンの北郊パサデナに二世として生まれた据石さんは ...

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ロサンゼルスを拠点に 世界のウチナーンチュをつなぐ 当銘由洋さん

沖縄の米軍基地内で食のイベント企画

ロサンゼルスで沖縄を含む日本からの食品輸入事業に携わる当銘由洋さんに初めて会ったのは、2005年頃だったと思う。日本語雑誌「TV FAN」の発行人、竹内浩一さんが、「沖縄出身の知り合いが文章を書ける人を探している」のだと紹介してくれた。その後、私は当銘さんが開催したイベントのレポートを書いたり、また、沖縄のことをもっと知ってほしいとの要望に応えて沖縄出張に同行させていただいたりもした。

沖縄入りしたのは2008年だった。以前に沖縄県の委託駐在員の職も務めていた当銘さんの現地でのネットワークは実に広範に渡った。県庁職員は言うにおよばず、観光局、現地の食品メーカー、さらには沖縄の食文化の専門家である琉球大学名誉教授の尚弘子さん、当時の沖縄市長の東門美津子さんらに直接、取材する機会を得た。

印象的だったのは米軍基地内でのミーティングだった。米軍関係者に沖縄赴任期間中に沖縄の食文化に親しんでほしいとの目的で ...

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歌舞伎研究家・翻訳者、米コロラド生まれの日系二世 ~大島明マークさん~

歌舞伎に携わる日系人

11月、いつものようにジャパンファンデーションからイベントの告知をEメールで受け取った。市川猿之助主演で日本では大きな話題となった舞台を映画にした「スーパー歌舞伎IIワンピース」をハリウッドのチャイニーズシアターで上映するという内容だった。そこに解説者として大島明マークという名前があった。調べると、彼はコロラド生まれの日系アメリカ人。歌舞伎の研究家であり、翻訳者、さらに清元節の語り手として歌舞伎の舞台にも立っているとわかった。一体、彼はどういう経緯で歌舞伎の世界に足を踏み入れることになったのか、興味をかき立てられた。取材を申し込むと、イベントの前日、滞在中のロサンゼルスのホテルで快く会ってくれた。

大島さんの両親は東京生まれ。1950年代にそれぞれが留学している間、ミネアポリスで出会った。「彼らが渡米したのは、1ドルが360円で持ち出し額にも制限があった時代でした。特別の理由がないと日本からアメリカには簡単には来られなかった頃です。東京大学を卒業した父は ...

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