福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。

(2008年2月 更新)

food ja

ジョナサン・ゴールドも絶賛の日本料理店 LA「Shibumi」のデビッド・シュロッサーさん

立ち寄った日本が人生を変えた

今や、ロサンゼルスはもちろん、世界規模で日本料理のレストランは増え続けている。しかし、問題は料理人だ。日本で修業した日本人の板前は数が限られている。そこで、20年ほど前から、寿司を中心に日本料理のシェフを育成する教育機関がアメリカ国内に設立されるようになった。それから時は経ち、多くの卒業生が業界に巣立っていったが、それでも日本料理のシェフとして名を成した非日本人はほとんどいないと言っていいのではないか。

そんな時、2016年の夏、レストラン評論家のジョナサン・ゴールドに絶賛されたShibumiのオーナーシェフが、デビッド・シュロッサーさんというアメリカ人だと話題になった。その店は「まるで東京で味わっているかのような錯覚を与えてくれる」と、彼は表現した。それだけ本格的な和食が味わえるということだ。場所は再開発が進む ...

続きを読む

community ja

過去の「敬老」と現在の「KEIRO」を巡る思い

人々が出会う場所

ロサンゼルス周辺の日本人や日系人で、敬老のことを知らない人はいないだろう。1960年代、故フレッド和田さんを中心とする8人の日系社会のリーダーによって、ロサンゼルスのダウンタウンを見下ろす高台に敬老引退者ホームが開設された。日本語のサービスや日本食が充実しているとあって、日本人や日系人が引退した後は安心の老後を過ごせると大変な人気を誇っていた。入居するには何年も待たなければならないほどで、知り合いの中には「入居の順番が少しでも前になるように、毎年、寄付金を敬老に贈っている」という日本人夫婦もいた。

私自身は1992年以降、度々、敬老の施設を取材で訪れた。敬老が運営する施設は、ダウンタウンに近いボイルハイツにある引退者ホームを中心に、同じ敷地内の中間看護施設、少し離れたリンカーンハイツと日系人が多いガーデナ市の看護施設と4カ所があった。コンドミニアムのような造りの引退者ホームには広大なカフェテリアがあり、日本からの歌手が公演でロサンゼルスを訪れると、かなりの高い確率で敬老にも慰問に訪れ、そのカフェテリアで入居者を前に歌を披露したものだ ...

続きを読む

food ja

1988年渡米、ラーメンブームの火付け人、甲山貴明さん

客の求める味

その店がリトルトーキョーのファースト・ストリート沿いに開店した当時は大きな話題になったものだ。時は2002年、店の名前は「大黒家」。とんこつラーメンを出す店として日本人のみならずアジア系を中心に人気を集めるようになった。店の前に張り出した黄色に黒字の看板の下の行列がいつしか馴染みの光景となった。

この店のオーナーが甲山貴明さん。今では12のレストランをロサンゼルス界隈に展開している毘沙門グループのトップだ。甲山さんは今からちょうど30年前の1988年、24歳の時にアメリカに渡ってきた新一世。渡米の前後を次のように振り返る。

「日本では6年間、料理人として働いていました。しかし、そこの店がクローズするのをきっかけに、一度海外に行ってみたいという気持ちでロサンゼルスに渡ってきました。それまで海外には一度も行ったことがなかったんです」

海外で日本食の腕を試す、といった覚悟の渡米ではなかった。それでも、日本では割烹の店を任されていた甲山さんは ...

続きを読む

identity ja

「花嫁のアメリカ」実録

2006年渡米、カリフォルニア州サクラメント近郊在住~順子・クエストさん

横田基地内で偶然の出会い

東京の八王子で生まれ育った順子さんは、「幼稚園の頃から、泣き声も大きくて、先生からも『意見をはっきり言う子だね』」と言われていました」と振り返る。将来は漠然とアニメの声優か、警察犬の訓練士になりたいと夢見ていた。早く社会に出たい! と思っていた順子さんは高校を中退、東京都下の横田基地で働き始めた。「私の父が若い頃に米軍基地で車両部の運転手を務めていただけでなく、母方の祖父も基地内でシビルエンジニアとして定年まで働いていたんです。父はその後、転職しましたが、私が幼い頃には横田基地のフェスティバルに連れて行ってくれていました」。

順子さん自身は、基地でチャイルドケアセンターの保育助手や、ベビーシッターとして働き始め、通信中隊のプロジェクトマネジャーにまで昇進した。そして、ある会議で運命の出会いが訪れた。「いつも会議に出てくる軍側のスタッフの代理で ...

続きを読む

identity ja

1990年渡米、ハリウッドで活躍するヘアメイク、松本安芸子さん

「日本で経験積んでから渡米」が正解だった

2018年3月にアメリカで、4月には日本で公開の日米合作映画「オー・ルーシー!」に参加したヘアメイクの松本安芸子さんキャリアは34年、在米歴は27年になる。

バスケットボールと陸上競技が得意だった安芸子さんだが、もともと抱えていた膝の故障が原因でアスリートになる夢は断念し、東京都内の山野美容専門学校に進学した。1980年代当時、美容師は人々の憧れの職業だった。

卒業後は舞台俳優のヘアメイクに携わる会社に入社、新人時代からスターのメイクを担当するようになった。「最初はヘアメイク、ウイッグ、ヒゲが主な担当でしたが、『オペラ座の怪人』のメイクに強く惹かれて、特殊メイクもやりたいと思うようになりました」。ところが特殊メイクの部署への異動を上司に掛け合ったものの却下されてしまった。「ならば、本場のハリウッドに行ってゼロから勉強しよう」と決断し ...

続きを読む