福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。

(2008年2月 更新)

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琉球王国の文化遺産を継承する北米沖縄県人会ウチナーグチ講座

「カタヤビラ・ウチナーグチ」

活発な活動で知られる北米沖縄県人会(ロサンゼルス郊外ガーデナ市)で、ウチナーグチ講座が開設されている。ウチナーグチとはもともとは琉球王国で話されていた言葉。たとえ、沖縄県の人でも、若い世代は標準語とはかけ離れたウチナーグチを理解することは難しいのだという。

同講座は2017年に15周年を迎えた。創設者であり、今も主宰者として講座を運営する比嘉朝儀さんは次のように語る。「沖縄文化を次世代に継承する際に何かが欠けているといつも感じていた。沖縄で親や祖父母から話しかけられていた言葉を私たちは失いかけていた。北米沖縄県人会の会長に就任した時、沖縄の言葉が学べる教室を開講することを私は優先順位の上位に挙げた」

比嘉さんは講座を「カタヤビラ・ウチナーグチ」と名付けた。それは「沖縄の言葉で話しましょう」という意味だ。比嘉さんが沖縄の学生時代 ...

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10月30日「世界のウチナーンチュの日」— 沖縄県と海外県人会つなぐ山城貴子さん

沖縄県主導でポータルサイト開設

沖縄県は海外の県系人とのネットワーク構築と密なコミュニーションに関しては、他の県とは一線を画す。その絆が形となった一大イベントが、1990年以降、5年に1度、沖縄で開催されている「世界のウチナーンチュ(筆者注:「ウチナーンチュ」とは沖縄の言葉で沖縄県系人のことを指す)大会」である。

今年4月に沖縄県文化観光スポーツ部文化スポーツ統括監となった山城貴子さんは、2021年に開催が予定されている「第7回世界のウチナーンチュ大会」を牽引する役割を担っている。同県文化芸能団と共に2017年10月にロサンゼルスを訪れた山城さんに、県と在外県人会のコミュニケーションについて聞いた。

「昨年開催された世界のウチナーンチュ大会時に、世界各地の県人会の方々とミーティングを持ちました。そこで出た課題は、沖縄の情報発信が海外では不十分であるということ、また県内の人は海外に移住した県系人の歴史をわかっていない世代が増えてきているということでした。そこで ...

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ラーメンに続くかアメリカのうどん文化

「日本と同じうどんを」と渡米した元公務員

日本からロサンゼルスに移り住んだ25年前、まだ当地にラーメン文化は花開いてはいなかった。麺料理では蕎麦の店が数店、うどん店ではオーナーが変わった現在も営業しているガーデナの「さぬきの里」、他に東西プラザの「琴平」がオープンしていたかいなかったかという程度だったと思う。

故郷の大分県では、人々は蕎麦よりもうどんの方を食べていた。しかも関東の濃いスープではなく、薄い出汁。上京した18歳の時に食べたうどんは、それまで慣れ親しんだうどんとは別物だった。味が濃すぎて違和感しかなかった。

しかし、ロサンゼルスに来て讃岐の里で食べたうどんは、讃岐というだけあって、西日本のもの。私たちの地域のうどんに非常に近かった。それでも、知る限り、うどん店は長らくロサンゼルスで増えることはなく ...

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南加大分県人会: 小規模組織の奮闘と100周年の成功

ロサンゼルスに渡ってきたのは1992年のことだった。当地にも県人会が存在することを知り、出身地の大分県人会にも多少関わりを持ったが、10年ほど前からは足が遠のいていた。

2016年秋、大分県の特産品をアメリカ市場に売り込むためにロサンゼルスを訪れた県一行と、南加大分県人会との交流会に参加する機会があった。ロサンゼルス生まれの長男が「日本での進学」を希望し、その年の初めから大分市の私の実家に移り住んだこともその会に顔を出したいと思った動機だった。そして、その交流会を私は心から楽しんだ。

その直後、現会長の會田裕二さん(以下、会長)から声がかかった。2017年に100周年を迎える県人会のイベントの実行委員への指名だった。他の顔ぶれは、不動産エージェントのトーマス・アコさん、引退生活を送る山澤まりこさん、渡米前は大分市で学校を経営していた釘宮史子さん、開教使夫人の庵原えりさん ...

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「アメリカの映画に出演したい」 幼少時の夢を叶えた日本の女優、田村英里子さん

ドラマ撮影の合間に語学留学

1990年代、日本の芸能界でアイドル歌手、また女優として活躍していた田村英里子さん。彼女は2000年に渡米し、数々のオーディションを受けた後に20世紀フォックス製作の「ドラゴンボール・エボリューション」や人気ドラマ「ヒーローズ」の主要キャストの座を獲得した。今もロサンゼルス市内で暮らす田村さんに話を聞く機会があった。

幼少期を父親の赴任先だったドイツで過ごし、帰国子女である田村さんが目指した場所が、なぜアメリカだったのかを最初に聞くと次のように答えた。「小学校6年生の時にドイツの映画館で『ET』という映画を初めて見たとき、ワクワクして、胸が騒いだことを今でも覚えています」

しかし、アメリカと自らの夢がつながるのはまだ先の話。少女時代の田村さんの最初の夢は、日本でアイドル歌手になることだった。小学生の頃にドイツで定期購読していた日本の雑誌を眺めては ...

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