「ビジネスマンであれ」
アメリカではアジア系以外の人には馴染みがなかった健康飲料のヤクルトを、ヤクルトUSAのプレジデントとしての在任中に、50州中49州にまで普及させたのが清水実千男さんだ。清水さんは2011年に前任地のシンガポールからロサンゼルスに赴任し、同地で10年間を過ごした。その後、コロナ渦中の20年、ロサンゼルスから日本に帰国、ヤクルト本社を退職すると同時に故郷の鹿児島県霧島市に転居した。目的は、長らく離れて暮らしていた母親と同居するためだった。
「ところが、私が日本に戻る辞令を受ける10日前に母は亡くなりました。96歳でした。私としては、1年、いや数カ月でもいいから母と一緒に住みたいと思っていました。私が大学に進学する17歳までしか一緒に住んでいませんでしたから。シンガポールに出る時も母に『戻ってくるまで待っていてほしい』と言って許可を得ていました。父は私がシンガポールに赴任して3年目に亡くなりました。そして、母の時も私の帰国が間に合いませんでした」。
シンガポールの後、横滑りで赴任したロサンゼルスでは、米国法人の代表として清水さんには多くのやるべきことがあった。「まずは、ヤクルトのアメリカ国内での工場の開設です。十分な量を流通させるためには、自国生産を行う必要がありました。そして15年にオレンジ・カウンティーに工場をオープンし、流通する州も、西海岸から始…