福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

business ja

米国で日本野菜普及に取り組む米田純さん

東日本大震災が転機に

山頭火ラーメンを米国に展開するFood’s Style USA社代表の米田純さん。彼から突然の連絡をもらったのは2020年の春頃だったと記憶している。私が以前書いた、南カリフォルニアの日本野菜農園についての「ディスカバーニッケイ」の記事を読み、農園の連絡先を問い合わせてきたのだ。それを機に米田さんとはSNSで交流するようになった。そして、2021年2月、東海岸デラウエア州のスズキファームの事業を米田さんの会社が引き継ぐことになったという投稿を見て、改めて彼がアメリカで何をやろうとしているのかに興味が湧いた。そして、2月のある朝、山頭火のボストン店にいた米田さんとのzoomを通じてのインタビューが実現した。

米田さんの前職は日本のプロ野球の球団代表だ。仙台に拠点を置く楽天イーグルスの代表を2004年から8年間務めた。その最中に、あの東日本大震災が発生した。「僕の中ではあの震災が転機になったほど、大きな衝撃でした ...

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community ja

シニア世代の新一世によるチャランポランの会

「何かやらなくちゃいけない」

ある時、元広告代理店の社長だった宮田慎也さんという知り合いがSNSにシニア向けの日本語媒体を投稿した。それは、彼も所属する「チャランポランの会」という、主にロサンゼルス在住のシニアの新一世たちが中心メンバーとなり立ち上げた団体の会報誌『かわら版』だった。オンライン版を覗くと、エッセイあり、川柳あり、レストランのコラムありと非常に充実した内容。すぐにこの会に興味が湧いた。そこで宮田さんにお願いして、同会の発起人である鳥居欣一さん、そして鶴亀彰さんにZoom取材の段取りをつけていただいた。

鳥居さんは会を起こした経緯について次のように説明した。「5、6年前、雲田さん(ミスター・豆腐として知られた雲田康夫さん)が僕のところに来て ...

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migration ja

紆余曲折の末、リージョナル航空の機長になった藤田尚弥さん

30歳を前に家族連れで航空留学

「もし、あの時決断していなかったら、今でも日本の空を飛ぶ飛行機を見上げて『あの時やってたら今頃あそこにいたかもなあ…』と心の中でつぶやいていたと思います」と話すのは、アメリカのリージョナル航空会社、スカイウエストエアラインズで機長を務める藤田尚弥さんだ。シニョリティー(社歴)が人事判断の基準となるアメリカの航空会社だが、藤田さんの同社でのシニョリティーの順番は、全社に現在5262人いるパイロットの中で1451番目。現在のようなパンデミックの中にあっても「この会社にいる限りおそらく解雇の確率はほぼないですし、今でもかなりの便数を飛んでいます。パンデミックの前、他の航空会社に転職すればいいのに、と友人に言われたりもしました。しかし、そうすればシニョリティーが下がってしまい、またやり直しです」と藤田さんは話す。彼がそれだけ仕事の安定にこだわるのは ...

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food ja

絆2020:ニッケイの思いやりと連帯―新型コロナウイルスの世界的大流行を受けて

二転三転する営業規制下での取り組み — ヴィーガンレスランのオーナー、中尾昭さん

「以前と同じことをやるだけ」

オレンジ・カウンティーのハンティントンビーチ。フリーウェイからはかなり離れた、目立たないショッピングモールの、これまた奥まった片隅にヴィーガンレストランVegiLicious(ヴェジリシャス)はある。カレーやラーメン、神戸焼肉丼といった日本的な料理もメニューに並ぶ同店のオーナーシェフが中尾昭さんだ。ヴィーガンメニューの店なので、当然ながらすべての食材が植物由来で、しかもオーガニック。そのヘルシーでしかも中尾さん自らが愛情を込めて作る料理の数々が評判を呼び、恵まれない立地条件ながら、グルメ系ソーシャルメディアでは長らく五つ星を獲得し続けている。

しかし、2020年3月、オレンジ・カウンティーも新型コロナウイルスによるロックダウンに突入、レストランは、テイクアウトとデリバリーのみという苦しい規制を科せられた。ところがFacebookを見る限り、VegiLiciousは中尾さんと接客を担当する妻の亜津子さんとで、毎日変わらずに営業しているようだった ...

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migration ja

米国で生きる日本人の選択

アメリカに残る人々が日本に引き揚げない理由

子どもの存在、医療、言葉

移住したアメリカから日本に引き揚げた人々に話を聞き、さらに一度は日本に帰国したが改めてアメリカに戻ってきた人の回に続き、アメリカを終の住処と決めた人々にも彼らの決断について聞かせてもらった。

在米50年になる70代男性Tさん。アメリカで語学を勉強し、日本に戻ったら映画評論家になろうと思っていたと話す。しかし、渡米3年目、父親が亡くなった。「母親はすでに私がアメリカに渡る前に亡くなっていたので、親がいない日本にもう戻る理由はないという気持ちになりました。そこで勤め先にスポンサーをしてもらいグリーンカードを取得し、結婚をして、子どもが3人生まれました。若い頃は日本に帰りたいだとか深く考えることはなかったですね。それよりも子どもたちの教育にとって、日本がいいのか、それともアメリカがいいのかと考えたら、それはもう受験一辺倒の日本ではなく、自由なアメリカがいいという結論に至りました」。

年齢を重ねた後も、日本に帰ろうという気持ちが一度もよぎることはなかったのだろうか ...

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