福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。

(2008年2月 更新)

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アメリカに本格的なたこ焼き文化を — TaNoTaの柴谷健雄さん

居酒屋やラーメン店向けに冷凍たこ焼き製造

関西出身者と「家庭の味」の話になると「子どもの頃から家にはたこ焼き器があった」とよく聞かされる。九州出身の私には、たこ焼きとは家庭で食べるものではなく、屋台で買って食べるものというイメージがある。家庭で食べようが、屋台で購入しようが、日本人でたこ焼きを知らない人はいないだろう。では、アメリカでの知名度はどれくらいかと言うと、もしかしたらお好み焼きの方が知られているかもしれないとは思う。いずれも粉物だが、たこ焼きはタコとネギ、天かすなどを小麦粉の生地に入れて丸く焼いたスナック。ソースやマヨネーズをつけて食べるが、兵庫県の方ではだしが効いたスープに浸して食べる「明石焼き」という名前の変わり種もある。個人的には、優しい味の明石焼きの方が好きだ。

また ...

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人材会社経営、故郷とロサンゼルスの交流に尽力 ~ 照子・ワインバーグさん

結婚で渡米、夫との死別、派遣職から社長に登りつめる

ロサンゼルスの人なら、「照子は人が大好きです」のフレーズで締めくくられるテレビコマーシャルを覚えているのではないだろうか。このコマーシャルに自ら出演していた照子・ワインバーグさんは人材会社の経営者に留まらず、ロサンゼルス名古屋姉妹都市委員会の委員長の他、日米協会の理事などボランティア組織での活躍ぶりでも知られている。

照子さんは愛知県一宮市の出身。東京で働いていた時に出会ったアメリカ人のワインバーグさんと結婚することになり、1978年、ロサンゼルスに渡ってきた。それ以前にも、ユタ州への短期留学の経験があり、アメリカにいつか住みたいという希望は持っていたそうだ。

しかし、結婚して4年後、夫を病気で亡くしてしまう。アメリカに残された彼女は帰国せず、この国で生きていこうと決断する。それは「両親がアメリカに快く送り出してくれたのだから、その気持ちに報いるためにも ...

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日本人社会とデトロイト現地社会をつなぐ元駐在員、大光敬史さん

アメリカの自動車産業の中心地、ミシガン州デトロイト地域には、駐在員を中心に一大日本人コミュニティが形成されている。ここに日本人コミュニティと地元社会をつなげるため日本文化を紹介する活動に従事している元駐在員がいる。大光敬史さんだ。

アイシン精機出身の大光さんは1979年にデトロイトに赴任、主に技術開発と研究所の運営に携わった後、2018年6月の引退後も帰国せず、現地に残る道を選択した。できる限り長くアメリカで暮らし続けたいと語る大光さんは、2016年に創設されたJapan Cultural Development(以下JCD)という団体の主幹として活動を牽引する立場だ。JCDは、デトロイト日本商工会(JBSD)から派生した団体。自動車産業の衰退と同時に廃れた街の復興に日系企業が役立とうと、デトロイト美術館(DIA)を舞台に、伝統芸能や工芸をはじめとする日本文化を披露、時にデトロイトの地域住民に実体験してもらう催しを企画 ...

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1990年渡米、沖縄料理店経営するバーガス真弓さん

20歳で米軍人と結婚

沖縄料理の店はビジネスとしては成功しないというジンクスを破って、2018年の12月で開店8周年を迎え、盛業を続けているのがロサンゼルス郊外オレンジ郡のタスティンにある沖縄食堂ハブ家。開店の3カ月後にロサンゼルスタイムス紙に「隠れ家的日本料理の名店」として紹介されたのがきっかけとなり、人種問わず、多くの常連客で賑わうようになった。

店内には、常連客が沖縄旅行の土産として持ち込んだ置物や、オーナー、バーガス真弓さんがアーティストとしての一面を発揮した手書きのメニューなどが所狭しとディスプレイされている。真弓さんは沖縄県与那原町の出身。「兄と弟の真ん中で、小さい時はやんちゃな感じでした。男っぽい性格。英語も好きで、カルチャー、ファッションとなんでもアメリカに憧れていました」。そして二十歳でアメリカの軍人と結婚、21歳の時に夫の異動に伴い、ペンドルトン基地に移ってきた。しかし、湾岸戦争の最中だった当時 ...

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沖縄出身者のネットワーク作りに生涯捧げた金城武男さんを偲ぶ

インターネットがない時代に

2018年10月20日、北米沖縄県人会の会長も務めた「五大洲」の発行人、金城武男さんがロサンゼルス市内の自宅で亡くなった。享年96歳。

金城さんには二度取材させていただく機会があった。一度目は、在米日本語雑誌のフロントラインに「アメリカの中の沖縄」という特集記事の取材をした際だった。アメリカで活躍している新旧世代の沖縄出身者数人を人選していた時、同じく元の北米沖縄県人会長の当銘由洋さんに「金城武男さんは絶対に取材するべきだ」と強く薦められ、話を聞くことにした。

待ち合わせ場所はウエストロサンゼルスにあるショッピングモールのフードコート。そこに日に焼けた顔が印象的な80歳くらいの小柄な男性が当銘さんと一緒に現れた。新聞の発行人で県人会長を務めた方だと聞いて構えていたのだが、金城さんのなんとも素朴で飾らない雰囲気に、いい意味で期待を裏切られたような気がしたものだ。

取材を始めると、率直でユーモアに溢れる語り口にすぐに引き込まれた。その素朴さは ...

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