「花嫁のアメリカ」実録

第二次大戦後にアメリカ人将兵に嫁いだ日本人女性、そして80年代にGIと結ばれた日本人女性まで、幅広い世代の「アメリカ軍人と結婚して渡米した花嫁」たちの軌跡を追う。

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2006年渡米、カリフォルニア州サクラメント近郊在住~順子・クエストさん

横田基地内で偶然の出会い

東京の八王子で生まれ育った順子さんは、「幼稚園の頃から、泣き声も大きくて、先生からも『意見をはっきり言う子だね』」と言われていました」と振り返る。将来は漠然とアニメの声優か、警察犬の訓練士になりたいと夢見ていた。早く社会に出たい! と思っていた順子さんは高校を中退、東京都下の横田基地で働き始めた。「私の父が若い頃に米軍基地で車両部の運転手を務めていただけでなく、母方の祖父も基地内でシビルエンジニアとして定年まで働いていたんです。父はその後、転職しましたが、私が幼い頃には横田基地のフェスティバルに連れて行ってくれていました」。

順子さん自身は、基地でチャイルドケアセンターの保育助手や、ベビーシッターとして働き始め、通信中隊のプロジェクトマネジャーにまで昇進した。そして、ある会議で運命の出会いが訪れた。「いつも会議に出てくる軍側のスタッフの代理で ...

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1996年渡米、バージニア州ヨークタウン在住 ~ かおる・ホリデーさん

横田基地で歯科衛生士に・駆け落ち同然で結婚

現在はバージニア州でエステティシャンとして働くかおるさんの出身地は東京の郊外、立川市。前回、東京オリンピックが開催された1964年の生まれ。

「毎朝、テレビでやっていた旅行番組を見てから学校に行くのが日課でした。小学校の卒業文集にはジャーナリストになりたい、と書きました。世界を駆け巡って活躍することを夢見ていました」

世界を夢見る少女は、高校卒業後に歯科衛生士の学校に通い、資格を取得した。そして、米軍の横田基地で働く叔父から、基地内で歯科衛生士を募集していることを知らされた。「基地には子どもの頃から馴染みがありました。年に1回開催される基地内のフェスティバルに遊びに行ったりもしていましたから」。かおるさんはそれまでの職場だった神田方面より、横田の方が近くなるということもあり、基地内の歯科で働き始めた。

「当時は英語がしゃべれませんでした。(日本の)学校の勉強って文法中心じゃないですか ...

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1986年渡米、カリフォルニア州ハンティントンビーチ在住・ギザラ勤子さん

友人の紹介でヘリ・パイロットの将校と出会う

ギザラ勤子(いそこ)さんが将来の夫となるレイモンドさんと出会ったのは、1984年、25歳の時だった。場所は沖縄の普天間基地。「米軍のパイロットと結婚していた友達に紹介されました。普天間の海兵隊の将校で、主人はヘリコプターのパイロットとして働いていました」。そして、レイモンドさんが帰国するまでの半年間、お茶を飲んだり、映画を見に行ったりして一緒に過ごした。勤子さんは最初、結婚は意識していなかったそうだ。しかし、レイモンドさんは帰国後も、熱心に手紙を送ってきた。

「主人の方が積極的?どちらかと言えばそうだったかもしれません。カリフォルニアのニューポートビーチに住んでいた彼とは、1年ほど、いわゆる遠距離恋愛のような形でした ...

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1981年渡米、カリフォルニア州アーバイン在住・ブデイ博美さん

出会いは普天間基地近く

アメリカ将兵と結婚して渡米した日本人女性を取り巻く環境は、時代が変われば大きく異なる。南カリフォルニア、オレンジ郡に住むブデイ博美さんは沖縄県那覇市生まれ、2016年5月の取材時点で56歳。短大に通っていた20歳の時に、ひとつ年上のスティーブさんに出会い、21歳で結婚した。スティーブさんとは、彼の駐屯先の普天間基地近くにあった、友人経営のロック音楽が流れるバーで知り合った。「たまたま大量のアイスクリームをもらったので、大きな冷蔵庫がある、その店に持って行った時、開店前で、客はいないはずの時間なのに、一人で彼がそこにいました。『どこから来たの』と話しかけられました」

博美さんが抱いたスティーブさんの第一印象は、「きびきびした海兵隊員」だった。仕事はエアトラフィック・コントローラー ...

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1956年渡米、カリフォルニア州オンタリオ在住・ロペス文子さん 〜その2〜

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初めての里帰り、父のにぎりめし

1956年、サンフランシスコに到着した文子ロペスさんと夫のルイスさんは、グレイハウンドバスでカリフォルニアを南下、ロサンゼルス市内のルイスさんの妹の家のガレージを改装した一部屋に身を寄せた。

「家もない、車もない、お金もない、ないない尽くし。スーツケース1つからのスタートでした。ガレージの部屋にはキッチンもトイレも付いていませんでした。主人はアーミーの勤務で食堂を担当していました。何百人という軍関係者が食事をする食材の仕入れなどをやっていたようです。主人は非常に母親思いの人でした。メキシコ人ということもあり、聖母マリアを信仰することと関係があるのかもしれません。また、主人の母は片腕しかなかったのですが、カソリックの私立校に彼を通わせるために、さまざまな縫い物をして、それを売って学費を稼いだそうです。そうやって苦労して育ててもらったこともあり、彼は母親を心から尊敬していました ...

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