ニッケイ物語#5: ニッケイ語:家族、コミュニティ、文化の言葉

「アリガトウ」「バカ」「スシ」「ベンジョ」「ショウユ」・・・このような単語を、どのくらいの頻度で使っていますか? 2010年に実施した非公式アンケートによると、南カリフォルニア在住の日系アメリカ人が一番よく使う日本語がこの5つだそうです。

世界中の日系人コミュニティで、日本語は先祖の文化、または受け継がれてきた文化の象徴となっています。日本語は移住先の地域の言語と混ぜて使われることが多く、混成言語でのコミュニケーションが生まれています。

このシリーズでは、ニマ会メンバーによる投票と編集委員による選考によってお気に入り作品を選ばせていただきました。その結果、全5作品が選ばれました。

お気に入り作品はこちらです!

  編集委員によるお気に入り作品:

  • ポルトガル語:
    ガイジン 
    ヘリエテ・セツコ・シマブクロ・タケダ(著)

  ニマ会によるお気に入り作品:

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過去のニッケイ物語シリーズ: 

#1: いただきます!ニッケイ食文化を味わう 
#2: ニッケイ+ ~混ざり合う言語、伝統、世代、人種の物語~ 
#3: ニッケイ人の名前:太郎、ジョン、フアン、ジョアオ? 
#4: ニッケイ・ファミリー: 記憶、伝統、家族観 

identity ja

三人の子どもたちへ —お父さんの多言語生活体験—

三人の子どもたちへ

こんにちは。元気ですか?

君たち三人は、このアメリカという国で生まれて、家の外では英語で、そして家の中では日本語を話すという多言語な生活をしていますね。現地の学校に通いはじめてから英語がとても上手になってきて、英語で話しをするのは簡単だと思って欲しい反面、日本語で話しをしたり、聞いたり、書いたり、読んだり、考えたりすることは面倒くさい事だとは思わないでいてほしい。お父さんも子どものころは、メキシコに住んでいたので、家の外ではスペイン語、家の中では日本語という生活をしてきました。

今日はお父さんの子どもの頃から今に至るまでの経験を伝えながら、君たちに多言語は面白いという事を感じてほしいと思います。

さっきも言ったけど、お父さんは、メキシコで生まれて高校を卒業するまでメキシコに住んでいました。君たちのメキシコのお祖母ちゃんこと、お父さんのお母さんが ...

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identity en ja es pt

ガイジン

学校の休暇中、私は友人のエミリアをサントスの祖母の家に招待しました。私と違いエミリアは日本語が話せるので、祖母とどんな話をするのか楽しみでした。

しかし、祖母と話し始めると、エミリアは私を呼んで「おばあちゃんの言っていることが分からない!」といきなり叫びました。

「えっ!?日本語を話すって言ってたでしょう?」

「えぇ、言ってたよ。でも、おばあちゃんの日本語は全然分からないよ!」

後で分かったのですが、おばあちゃんは標準語ではなく沖縄の方言「ウチナーグチ」で話していたのです。そのとき、私は日本語も知らなければ「ウチナーグチ」も知らないのだと改めて思い知らされました。

今まで「ガイジン ...

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ダイコン、カブ、赤ダイコン、赤カブ

恋人のビアと同棲生活を始めるようになってから、僕は意識して料理をするようになった。大学生のころは料理などしたことがなかった。市販のトマトピューレにニンニクを加えただけで、僕は料理上手だと思っていた。そして今、僕は毎週近くの朝市に行くようになった。健康のことを少し考えるようになったこともあるが、節約が一番の目的だ。

サンパウロ州の田舎町の日系人の一般家庭に生まれ育った僕は、日本料理とブラジル料理がうまくミックスした食卓をいつも囲んでいた。日本式の白いご飯とブラジル料理のフェイジョンと味噌汁の組み合わせは普通だと思っていた。料理に関する言葉も日本語とポルトガル語のミックスだった。例えば、キャッサバの揚げ物は「キャッサバの天ぷら」と呼んでいた。

朝市に行くようになって、スーパーではめったに売っていないが実家や叔母の家で食べていた野菜などを見かけるようになった。時々、チンゲン菜やからし菜を買い、大根やカブを買ったときは葉っぱも利用する。

実家に居たころは、朝市で大根を買うとき「葉っぱを取らないで下さい ...

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ロンドリーナの「グルッポ・ヒカリ」 ~メンバーが日常で使う日本語~

私たちは第二次世界大戦前の日本からの移民の子孫である。子供、若者、大人、高齢者にかかわらず、みんな移住者の子であり、孫であり、曾孫、玄孫である。

日本を後にした私たちの祖先は西洋の文化を吸収しつつ、日本文化を私たちに伝えてくれた。特に、若い世代と高齢者の交流は、日本の価値観や風習、料理、言葉などを継承するのに役立っている。

ブラジルで最も日系人の多い地域はサンパウロ州で、二番目はパラナ州北部である。パラナ州の中でも、ロンドリーナという町は日系人の多さがきわだっている。

この町で行われる日系の催し物は、大勢の観客を引き寄せる。日系コミュニティの音楽、踊り、料理 ...

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第二のふるさとはブラジル・心のふるさとは日本

母は日系ブラジル人、父は日本人で、私は日本で生まれて、9才まで日本で暮らしました。

両親は、私とは日本語だけで話していました。どちらかの両親がブラジル人の場合、子供がブラジル人学校に入ることがありますが、私は保育園から小学校4年まで日本の学校に通いました。当時、ポルトガル語は「água(水)」と「obrigado(ありがとう)」のたった2つの言葉しか知りませんでした。それを、どういう場面で使っていたのかも思い出せません。

ブラジル人と会う機会は、母と一緒にブラジルの福音教会へ行くときだけでした。そこでは、みんなポルトガル語で話していました。母もそうでした。私はいつも子供たちと一緒でした ...

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