ニッケイ物語9—勝敗を超えて: ニッケイスポーツ

ニッケイのスポーツを、ゲームの勝敗を超えて特別なものにしているのは何でしょう?あなたのヒーローである日系アスリートや、あなたのニッケイとしてのアイデンティティに影響を与えたアスリートについて書いてみませんか?ご両親の出会いのきっかけは、ニッケイのバスケットボールリーグやボウリングリーグでしたか?戦前の一世や二世の野球チームに代表される日系スポーツ史にとって重要な時代に関心はありますか?

ニッケイ物語第9弾として、ディスカバー・ニッケイでは、2020年6月から10月までスポーツにまつわるストーリーを募集し、同年11月30日をもってお気に入り作品の投票を締め切りました。全31作品(日本語:6、英語:19、スペイン語:7、ポルトガル語:1)が寄せられ、数作品は多言語による投稿でした。編集委員とニマ会の方々に、それぞれお気に入り作品の選考と投票をお願いしました。下記がお気に入りに選ばれた作品です。 (*お気に入り作品は、現在翻訳中です。)

編集委員によるお気に入り作品

ニマ会によるお気に入り作品:  

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なぜコーチをするのか:ジュニアスポーツコーチとしてのボブ・コダマの遺産

私の父、ボブ・セイコウ・コダマは、1931年にワシントン州シアトルで生まれた日系二世です。父の両親は、シアトルの中心街で複数のホテルを経営していました。幼少期の父は、海辺を探索する日々を過ごしていました。1942年、12万人の日系人と共に父と家族は一斉検挙され、強制収容所に送られました。父の一家はアイダホ州ミニドカに送られました。10歳の子供が、自分の国によって外見を理由に収監されることがどのようなものなのか、想像することは困難です。父は、ミニドカで野球を学び、第二次世界大戦が終わりシアトルに戻る頃にはガーフィールド高校で代表チームを立ち上げられるほどの腕前になっていました。そして、シックス・スタジアムで行われた市の野球選手権大会にも出場しました。

父のスポ―ツ愛は、子供たちにも受け継がれました ...

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私のスポーツへの愛と人生

昨年、私の最愛の妻アリスが突然亡くなるまで、私は自分が世界一幸運な男だと思っていました。私たちは65年間幸せな結婚生活を送り、4人の子どもと10人の孫に恵まれました。2人の娘に2人の息子、孫は女の子が5人と男の子が5人の完璧な男女比でした。

私たち夫婦は、ほとんど全ての行動を共にしました。たくさんのスポーツ観戦にも行きました。最初に観戦したのは、娘たちがメンバーだったJAO(日系人スポーツクラブ)のバスケットボールとソフトボール、そして高校アーチェリー、バドミントン、バスケットボール、その後はバレーボールやSCWAU(南カリフォルニア女子競技組合)バスケットボールでした。それから息子たちのCYC(地域の青年会)野球やバスケットボール、高校水球に続いてNAU(二世競技組合 ...

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60周年を迎えて:あなた達の心の近くに

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バンクーバー朝日投手、土居健一と家族の物語

バンクーバー朝日がリーグ優勝を果たした1926年、土居健一はバンクーバー朝日チームの投手であった。しかし、元々彼は、バンクーバー島カンバーランドの第五鉱山の日系野球チーム「SUN(太陽)」の選手だったのだ。

この土居健一について詳しく知ることができたのは、小生の友人のノーム伊吹が、健一の長男で親友のジョージ土居を紹介してくれたからであった。

健一が野球選手として最盛期のころ、ジョージはまだ子供だったので、父が実際にプレイする姿については覚えてないという。唯一記憶に残っているのは、オープントラックの後方に乗って野球場に出かけ、試合を観戦したことだ。当時は誰もが野球をプレイし、観戦することを楽しんでいた。

そもそも、ジョージは父の健一がバンクーバー朝日の選手だったことを知らなかった。それを知ったのは、健一が亡くなった時に叔父のフレッド・タダオから「バンクーバー朝日がカンバーランドにやってきた時 ...

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スポーツと学校

私のなまえは、たいら・フエルナンダ・ゆみです。14さいです。どうぞよろしくお願いします。   

私は、小さい時からとても水泳がすきです。7さいごろから、イビラプエラのオリンピック・センターで、水泳のれんしゅうをはじめました。

五年生まで、毎日ごぜんちゅうは水泳に行って、ごごから学校にかよいました。

六年生から、学校は朝になりましたので、水泳はもうつづけられないと思っていましたが、さいわいピ二ェイロスチームにさそわれて、そちらで、ごごかられんしゅうが、できるようになりました。

月よう日から土よう日まで、まいにち2時間およいで、1週間に3回は ...

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