エンリケ・ヒガ

(Enrique Higa)

日系ペルー人三世で、ジャーナリスト。日本のスペイン語メディアインターナショナル・プレス紙のリマ通信員でもある。

(2009年8月 更新) 

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少し遠のいた日本

数ヶ月前にブラジルで開催されたコパアメリカ(サッカー南米選手権)で、日本がチリに4対0で負けた。正直、そのとき嬉しかったことを鮮明に覚えている。その後のウルグアイとエクアドルとの試合でも負ければいい。この大会で一点も入れられず日本に戻ればいいと思った。招待国として参加した日本は、主力選手を使う価値はないとでも思ったのか、この権威あるコパアメリカに補欠選手ばかりのチームを送り込んだことに憤りを感じていた。南米での試合だからなのか。もしこれがヨーロッパ選手権でも同じように日本は二軍チームで参加したであろうか。

このようなサッカーの国際試合になると、特に代表チーム同士の試合となると、自身のアイデンティティーや他国への親近感や距離を考えてしまう。なぜ日本がこてんばんに負ければいいと思ってしまったのか、それは多分自分が南米の日系人としてこの状況を見たからである。まあ、自分でもよく理解できないのだが、自分が日本でデカセギ就労者であったことが日本に対する認識を変えたのかもしれない。

思うに、日本では日系人であることはあまり意味がない。それまではあまり意識していなかったが、日系人を表現する言葉は ...

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1964年の東京五輪行きの夢を叶えた日系ペルー人の熱意

「『東京でオリンピックが開催されるのに、日系人が誰一人いかないのか!』と我々は自問しました」。

そう話したのはペルー二世大学生協会(AUNP-Asociación Universitaria Nisei del Perú)のルイス・トヤマ氏です。この団体は1961年に日系人学生によって設立されたもので、ペルーと日本の文化交流や低所得者支援などの社会活動を展開するために組織化されました。

「我々」というのはこの団体のメンバーのことで、「東京のオリンピック」とは1964年に開催された五輪のことです。

当時の若い二世たちは、祖先の国で開催されるオリンピックの舞台に日系ペルー人の姿がないという現実を受け入れることができませんでした。

そこで、五輪に出れる実績を持った二世はいないのかと問いただしました。その答えが、テオフィロ・トダ ...

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マチュピチュで歴史に名を残した日本人移住者:野内与吉氏

誰もがペルーのマチュピチュという世界遺産を知っている。しかし、ペルーの日系社会にすら、インカ帝国の街とペルーの日本人移住に接点があるということは、ほとんど知られていない。そこには、野内与吉というすごい人物の存在がある。

野内与吉氏は、1895年福島県で生まれた。1899年から1923年の間に契約移民としてペルーを訪れた日本人移住者18,727名の一人である。

今年は、与吉さんがペルーに到着し、農業労働者としてリマ北部のサンニコラス農園で働いてからちょうど100年になる。

娘のルス・マリーナさんの保持する記録や記憶にもとづく証言によると、与吉さんは、リマからすぐにボリビアへ渡り、そこからブラジルへ、そしてまたペルーに戻ってアマゾン地域南東部のプエルト・マルドナードで働いたという(ここでオスカルという名で洗礼を受ける)。そして最後にようやくたどり着いたのがクスコだった。

当初は各地を転々とし、なかなか腰を下ろすことができなかったが ...

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グース外間: 心に咲くカーネーション

孫: ねぇオジー、どうして僕たちの顔は他のアルゼンチンの人の顔と違うの?

祖父: グース、私たちは日本人なんだよ。

孫: 日本人なの?アルゼンチンに住んでいるのに?

祖父: そうだよ。オジーはね。17歳の時、オバーと一緒に移民船でアルゼンチンへ渡ったんだよ。3ヶ月もかけてね。

これは、アルゼンチン出身のミュージシャン、グース外間の歌、『時空の花』のミュージックビデオのイントロダクションに収録されているアニメーションでの会話だ。日系四世の彼が幼少の頃、実際に祖父と交わした会話をイメージして作られている。

グースは、この歌によってミュージシャンとしての人生が大きく揺り動かされた。そして ...

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日系ペルー闘牛士の伝説

比嘉ミツヤにとって、海は彼の人生そのものである。幼いころから、港町カジャオ付近のラプンタ岬(La Punta)に行き、泳いだり、地平線を眺めたりしたという。83歳になった今でも、心の安らぎを求めるため定期的にラプンタ岬を訪れる。

1960年頃、叔父のミツヤは闘牛士という夢を実現するためマドリードへ渡った。内陸にある首都は乾燥しており、心を落ちつかせてくれる海風をとても懐かしく思ったという。「無限に押し寄せてくる波、特に海の存在が恋しかったなぁ」と話してくれた。

私が、「ラプンタに行きませんか?」と誘うと、「うん、行こう」と即答する。そして ...

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