フィリピンで「ジャズ」といわれた太鼓 (英語)

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(英語) それから僕らは東京からフィリピンに行ったんですね。当時のマルコス大統領が退陣する少し前、1981年のことでした。世界一安全な国から飛行機に乗ってフィリピンへ向かったわけです。飛行機を降りると、タラップの下に、機関銃を持った男性が2人立っていました。それに日本では雪が降っていたのに、フィリピンはとても暑くて、「なんだか違いが極端だ」と思いました。気候だけではなくて、環境も全く違っていました。2月にはローマ法王が来るということで、戒厳令を解くところだったらしいんですが、それで世の中がどのような状態になるか、マルコスとしては予測できなかったんでしょうね。武装した護衛兵がそこら中にいたのは、その理由からなんですね。

その時は知らなかったのですが、フィリピンでは『ホリデイ』という曲が当時人気一番で、ロック音楽は禁止されていたんだそうです。ポップ音楽やジャズが一部認められていたんだけど、僕らの音楽はジャズと見なされていたんですね。空港に降り立ったら、すぐに車に乗せられて町中をパレードすることになったのですが、僕らが来ているということで、人々は外に出て大声で叫んだり、歓声を上げたりしていました。

日付: 2004年10月15日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: アート・ハンセン、ソージン・キム
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

hiroshima philippines taiko

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