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川井 龍介

(かわい・りゅうすけ)

@ryusukekawai

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)


この執筆者によるストーリー

「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第6回 新版の序文から

2016年4月8日 • 川井 龍介

一昨年アメリカで出版された、新版の「No-No Boy」には、これまでになかった新たな序文がつけられた。1957年のオリジナルは小説のみで、1976年の復刊にあたっては、そのいきさつなどをまとめた序文とあとがきが加わり、新版でさらに新版用の序文がついたことになる。 解説的に後ろにまとめて掲載されるのではなく、これだけいろいろなものを前後につけて構成されると、小説としては読みにくいと思われるかもしれない。しかし、新版にあたっての新たな序文がこの作品の今日的な意味を説き、また…

「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第5回 新版がアメリカで一昨年出版

2016年3月25日 • 川井 龍介

表紙に描かれた主人公の苦悩 初版はまったく注目されなかった「No-No Boy」は、1976年に復刊された。以来読み継がれ、版元のワシントン大学出版では13回版を重ねて累計で10万部以上を出版している。この間、ずっと同じ表紙で同じ内容だったが、一昨年新たな序文を加え表紙も一新した新版が出た。 ボブ・オノデラの手によるこれまでの表紙のイラストは、一見何をあらわしているのかわからないが、よく見ると人間の顔のようで片方の目は星条旗が、そしてもう片方には旭日旗が小さく描かれてい…

「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第4回 日本での出版

2016年3月11日 • 川井 龍介

1979年、中山容氏が翻訳 小説「ノーノー・ボーイ」がアメリカで復刊されたのが1976年。それから3年後の1979年3月、日本語で翻訳が出版された。出版社は海外の文芸作品の翻訳など個性的な作品を手がける晶文社(東京都千代田区)で、中山容氏が翻訳を手掛けた。 翻訳のタイトルは「ノー・ノー・ボーイ」と表記され、「時は1945年、徴兵を拒否して二年間の刑務所ぐらしを終えて、故郷のシアトルに戻ってきたイチロー。自らの生き方を求めて激しく悩み、傷つきながら彷徨する魂の姿を、叩きつ…

「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第3回 復刻版にこめられた熱い思い

2016年2月26日 • 川井 龍介

3月12日、シアトルのワシントン州日本文化会館で、「ノーノー・ボーイ」に関するシンポジウムが開かれる。第二次大戦中にアメリカの日系人が収容所に入れられた際に問われたアメリカ国家への忠誠に対する質問の意味をはじめ、日系人社会の反応など、小説の背景にある問題を研究者らが語り合うという。 シンポジウムは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校アジア系米国人研究部のプログラムの一環として行われるというが、いまもって「ノーノー・ボーイ」に象徴される世界は、文学だけにとどまらず、考察されつ…

「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第2回 再発見された“我々の文学”

2016年2月12日 • 川井 龍介

アイデンティティの問題などを鋭く問うジョン・オカダの小説「ノーノー・ボーイ」は、1957年に出版されたのち、世間の注目を浴びることなくほぼ忘れ去られてしまった。それが70年代に入り見直されることになる。 そのいきさつについて触れる前に、昨今のアメリカをはじめ世界各地での移民や民族間、国家・文化間に生じている摩擦や問題からみて、「ノーノー・ボーイ」を考察する意味をひとこと触れておきたい。 いま、なぜ「ノーノー・ボーイ」なのか 大統領選がはじまったアメリカでは共和党の大統…

「ノーノー・ボーイ」の世界を探る
第1回 「ノーノー・ボーイ」とは何か

2016年1月22日 • 川井 龍介

太平洋戦争を挟みアメリカで生きた日系アメリカ人二世、ジョン・オカダ(John Okada)が残した小説「ノーノー・ボーイ(No-No Boy)」。1971年に47歳で亡くなった彼の唯一の作品は、戦争を経験した日系アメリカ人ならではの視点でアイデンティティをはじめ家族や国家・民族と個人の在り方などさまざまなテーマを問う。いまも読み継がれるこの小説の世界を探りながらその魅力と意義を探っていく。 小説「ノーノー・ボーイ」が出版されたのは1957年、アメリカと東京に本部を置くチャ…

「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって
第31回(最終回) 南部沿岸諸州の日系人

2015年10月30日 • 川井 龍介

アメリカへの移民1世の足跡をまとめた「米國日系人百年史」を、北部加州(北部カリフォルニア州)からほぼ州別に読み直してきたこのシリーズもいよいよ最終回を迎えた。百年史、第二十七章は「南部沿岸諸州」で、ルイジアナ州、ミシシッピー州、そしてアラバマ州のことを指している。 港町ニューオリンズを中心に 統計によれば、ルイジアナ州の日系人の人口は、1900年に17人、以後10年ごとに31人、57人、52人、46人となり、戦後の1950年に127人、60年に519人となっている。 …

「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって
第30回 フロリダ州の日系人

2015年10月9日 • 川井 龍介

アメリカの南東部、メキシコ湾と大西洋に挟まれ、カリブ海に突き出たフロリダ州は日本からもっとも遠い州の一つだが、日本人の足跡は意外に多く、「百年史」でもおよそ10ページにわたって紹介している。まず、概要としてこうある。 「一八九六年にフロリダ・イーストコースト鉄道が、ジャクソンビルからマイアミに貫通して以後に日本人が移住したのであった。その頃この州はスワンプばかりで交通運輸の便は極めて悪かった。従って人口も希薄であったが、右鉄道の開通で、事業家と冬季には金持ちの避寒客が…

「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって
第29回 南部大西洋沿岸諸州の日系人

2015年9月25日 • 川井 龍介

東海岸最初の集団移民? 「百年史」が、第二十五章で紹介する南部大西洋岸諸州とは、ジョージア州とノースカロライナ州、サウスカロライナ州の三州だ。 統計ではジョージア州の日本人人口は1900年に1人、1910年に9人、以下10年ごとに32人、31人、128人で、1960年には885人となっている。この統計より前に、この州に最初に足を踏み入れた日本人について「東海岸最初の集団移民」として、次のような“伝説”がある。 「~1880年代ごろ、フランク…

「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって
第28回 中部大西洋岸諸州とペンシルベニア州の日系人

2015年9月11日 • 川井 龍介

「百年史」は、第二十三章で「中部大西洋岸諸州」として、「コロンビア区(華府)、メリーランド、デラウェア、ヴァジニア、西ヴァジニア」の日系人社会についてまとめている。といっても、これらのなかで記述の中心は首都ワシントンD.C.の日本人、日系人についてだ。ほかの州の日系人についてはほとんど触れらていないに等しい。 コロンビア区というのはワシントンD.C.のことで、ワシントン府とも書き、漢字では華府と表記している。 華府については、古く1860年5月に遣米使節団として新見豊前…

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