Ryusuke Kawai

ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。「大和コロニー『フロリダに日本を残した男たち』」(旬報社)、「『十九の春』を探して」、「122対0の青春」(共に講談社)など著書多数。日系2世の作家、ジョン・オカダ著「No-No Boy」の翻訳を旬報社より出版。

(2016年1月 更新)

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第12回 強盗に襲われる 

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。相変わらず帰国するか、義妹らをアメリカに呼び寄せるか思案するなかで、あるとき郊外でひとりポツンと暮らしている助次は、強盗に押し入られる。

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1955年6月

〈一時は万事休すかと〉

美さん、暫くご無沙汰しました。みなさん、お変わりはありませんか。お手紙を頂いた数日後の一夕、寝こみを強盗に襲われました。重傷を負い一週間ばかり病院で治療を受け、ようやく傷も癒えたので、数日前デルレー(デルレービーチ)へ帰り友人(白人)の家で世話になっております ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第11回 不調ながら新たな試みを模索

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地のとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。60代になり体調不良を訴えることが多くなり、同胞の死を知り気弱になるが、桜を植えることなど新たな試みをつねに思索している。

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〈知人の息子がコリアで戦死〉

1953年10月6日

美さん、今日は久し振りに雨が降りませんでした。永い降り続きで畑も市街も低地は一面の水です。6回目の台風フロ−レンスが過ぎ去ったと思うと、7回目が東南250マイルの地点に吹き起こりました。

今、丁度12時15分。空は曇って星一つ見えません。涼しい風が海から吹いております。温度は78度(約26℃)、フロリダも大分涼しくなり日も少し短くなりました。午後の7時頃は薄暗くなります ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第10回 自分を「父」と呼んだ甥が逝く

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地のとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。互いに実の家族同様の気持ちになるなかで、ある日甥が病を患っているのを知る。遠く日本にいる甥をそしてその母である義妹を励まし、慰めるが……。

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1953年2月×日

美さん、前回の手紙の翌日から当国南部を風靡中(流行っている)のフル—にかかりずっと病院に居ります。医師の話では全快にはなお4、5週間を要するそうです。一時は熱が102度(約39℃)にも上がりました。全く食欲もなく注射と水ばかりで生きて来ました。私は随分、大病をしましたが ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第9回 京都に帰って余生を過ごしたい  

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地のとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。何年にもわたるやりとりのなかから、実の家族同様の気持ちになり、互いに一緒に暮らそうという話もでてくる。だが、障害もまたいろいろある。

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1952年9月14日

美さん

また永らくご無沙汰しました。済まなく思いながらもつい忙しいのと疲れのため、一日一日引き伸ばしとなりました。本月に入ってから台風が2回やって来ました。最初のは時速110マイル、次のは150マイルで来襲しましたが、近くまで来ないで北へそれたので何の被害もありませんでした。

ここ一週間ほどは、ほとんど毎日の降雨で蒸し暑く実に不愉快です。夜はまた蚊が多くて裸体で外には出られません。

シンガーミシンは名が売れているだけこの国でもずっと値が張ります。お隣の花屋さんのミセスもポータブルシンガーを使っています ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第8回 まだなすべき事業がある!

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地のとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。故郷のことを常に心にとめながらひたすら畑仕事に精を出す。「妻子もいないのにそんなに働いてどうする、お前はバカだ」という声も聞くが、「まだなすべき事業がある」と、自分に言い聞かせる。

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1952年○月×日

美さん、あなたに探して頂いた楠田糸子さんも今は森静香さん。あんたと同じ病気で悩んでいられて戦災で無一物になられた上、地震(※1927年3月7日の北丹後地震)で二人の子供は焼死、夫君は同じ病気で五年前に亡くなり止むなく息子の世話になっているとのこと。

私の故郷の滝馬(宮津市)の方ですが、同じ様な境遇の人がいます ...

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