Ryusuke Kawai

ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。『大和コロニー「フロリダに日本を残した男たち」』(旬報社)、『「十九の春」を探して』、『122対0の青春』(共に講談社)など著書多数。日系2世の作家、ジョン・オカダ著『No-No Boy』の翻訳を旬報社より出版。『大和コロニー』は、「Yamato Colony: The Pioneers Who Brought Japan to Florida」として、University Press of Floridaより英語版が出版。

(2018年3月 更新)

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~

第11回 アメリカ移民と父・松次郎の渡米

一旗揚げようと日本を出た?

『米國日系人百年史』のなかで加藤新一が記した自らのプロフィールによれば、父・松次郎は、新一が生まれた年(1900年)に、生まれたばかりの長男新一と妻を広島に残してアメリカに渡った。想像の域を出ないが、おそらく出稼ぎのつもりだったのだろう。

「加藤家のあったあたりは昔は農地で、加藤の家も土地を持っていましたし、松次郎さんがアメリカへ行ったのも、一旗揚げようとしたからでしょう。そういう人はいっぱいいて、成功して帰ってきた人のところへおじさん(新一)が私を連れていってくれたこともありました」と、新一の甥の吉田順治さんは言う。


一気に海外へと向かう

日本人の海外渡航を振り返れば、日米和親条約(1854年 ...

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~

第10回 加藤家の墓 

原田東岷が死を確認

80歳を過ぎても軍縮問題など平和活動に打ち込んでいた加藤新一は、1982年2月9日の朝、自宅で脳梗塞のため亡くなった。突然のことだった。妻の章子さんはアメリカ生まれでモダンな生活を好み、アメリカ生活の長かった夫婦はオープンで仲睦まじく、寝室もともにしていた。

この日の朝、甥の吉田さん宅に章子さんから、ベッドにいる夫、新一の様子がおかしいと電話があった。吉田さんが母親の春江さん(新一の妹)と一緒に加藤宅に駆けつけると、新一はベッドの上で口をあけたまま横たわっていた。

すでに1キロほど離れた原田病院に連絡がしてあり、院長がやってきていた。院長の原田東岷(とうみん)氏(1912年〜99年)は、戦時中は軍医だったが ...

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~

第9回 確かに全米を回っていた

フロリダで車を売ろうとしたが 

加藤新一の親族を探していた私は、2020年3月広島市東区戸坂千足というところで、運よく彼の甥にあたる吉田順治さんに巡り合うことができた。建設業を営んでいた吉田さんは、加藤の妹、春江さんの長男にあたり、加藤のことを「おじさん」と呼び、親しい関係にあったことがわかった。

偶然の訪問にもかかわらず、時間があるということで話を聞かせてもらえることになった吉田さんに、私はフロリダの日本人移民秘話をノンフィクションにまとめたことや、日系アメリカ人文学の金字塔であるジョン・オカダの「ノーノー・ボーイ」の翻訳を手掛けたことなど、日系アメリカ人に関する取材を長年してきたことを説明し、そのなかで加藤新一がまとめた「米國日系人百年史」に出合ったことから、加藤という人物に興味をもって調べていることを伝えた。

日本人移民1世の記録をまとめるため全米を駆け回ったこと ...

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~

第8回 広島の親族は?

かつての住所を訪ねると 

「米國日系人百年史」のなかの自己紹介ともいえるプロフィール記事と、1982年2月10日の中国新聞社の訃報(死亡記事)などから、加藤新一の人生が要約できたところで、広島出身で最後は故郷で一生を終えた彼の血縁者や、彼を知る人を改めて探すことにした。

加藤の、アメリカ生まれのひとり息子は 、日本で高校を卒業した後アメリカに戻ったので、直系の親族は日本には見当たりそうになかった。そこでまずは加藤が暮らしていたと思われる、訃報にある住所を訪ねることにした。2019年4月のことである。

加藤のかつての住まいは、広島市の中心部から北西に2キロ余りのところに位置する。JR山陽本線の横川駅から歩いて数分、広島電鉄の路面電車の横川一丁目駅からはすぐ近くのところだった。

市の中心部に宿泊していた私は路面電車を乗り継いで、横川一丁目で降りて、該当すると思われる場所を確認したうえで、少し周辺を歩いてみた。公園があり ...

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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~

第7回 81歳で故郷広島に永眠

中国新聞の連載記事「原爆と中国新聞」(2012年3月〜5月)によれば、広島に原爆が落とされた当時、加藤新一は中国新聞記者の報道部長で、被爆当日市内を歩き回り、一ヵ月後には広島入りしたアメリカの調査団に同行した赤十字駐日首席代表のマルセル・ジュノー博士の通訳兼案内係として廃墟の被爆地を回ったことが分かった。

彼はそこで何を見て、どう思ったのか。またそれが、後の彼の人生に何か影響を及ぼしたのだろうか。さらに詳しく知りたいと思った私は、連載記事に署名のあった編集委員の西本雅実氏に連絡をとり尋ねてみることにした。

私はフリーランスとはいえ、西本氏とは同業者であり、本来ただ情報をもらおうというのは図々しい話ではある。しかし、西本氏の名前には見覚えがあった。40年以上前のこと、私は大学でものを書いたり批評したりするサークルに所属していた。薄汚れたコンクリートの建物の中の、さらに汚れた小さな部室を活動の拠点としていたが ...

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