Ryusuke Kawai

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

war ja

日系(ニッケイ)—をめぐって

第10回 舞鶴と桜と日系アメリカ兵士

昨年のいつだったか書店のノンフィクションのコーナーで「舞鶴に散る桜」(細川呉港著、飛鳥新社、2020年出版)という本に目をひかれた。サブタイトルに「進駐軍と日系アメリカ情報兵の秘密」とあったからだ。 舞鶴(京都府)といえば、日本海に面した港町で、戦後中国大陸やシベリアなどから日本海をわたって日本に引き揚げてきた日本兵や民間人たちの故国日本への玄関口となった地として知られる。しかし、それが進駐軍や日系アメリカ兵とどう関係があるのだろうか。そして、舞鶴の桜とは何を指すのか。興味を書きたてられて読むと、これまで知らなかった事実に行きあたった。 巻末の著者プロフィールによれば、細川氏は、1944年広島県呉市の出身で、出版社をへてフリー。現代中国、満州、モンゴル研究は長く、歴史に生きた無名の人物を掘り起こす作業を続けている、という。 2018年3月、著者は舞鶴市内の丘に桜を植えるイベントがあることを知る。そこには、戦後すぐに舞鶴に駐屯した、元日系アメリカ兵9人がハワイから参加するという。彼らは第二次大戦中ヨーロッパ戦線の活躍で名高い第100歩兵大隊とMIS(Military Intelligence  Service)という情報部隊に所属していた軍OBと関係者だった。 なぜ、かれらは戦後舞鶴にいて、そして戦後73年たってから舞鶴に桜を植えるためにやってきたのか。本書は…

Read more

community ja

日系(ニッケイ)—をめぐって

第9回 続・ウラジオストク、日系の足跡

日本に一番近いヨーロッパ ロシアの極東の港湾都市、ウラジオストクに明治から昭和の初期にかけて形成された日本人の居留地のことについて前回(第8回)で触れたが、こうした歴史的な事実とは別に、近年ウラジオストクは、観光地としても日本から注目されていた。 改めて調べてみると、ウラジオストクの魅力を紹介するウェブ上のサイトもいくつか見つかった。そのなかでYouTube「ウラジオストクチャンネル」は、ウラジオストクの魅力を整理して伝えている。「ウラジオストクを旅する43の理由」(2019年、朝日新聞出版)などの著書がある中村正人氏が解説する。 成田空港から2時間半で行けることやシベリア鉄道の起点であることから、「日本に一番近いヨーロッパの町」であること、そして人気の理由として以下の7つのポイントをあげている。 日本海に面した港町 ヨーロッパの街並み グルメの町 夏はビーチで遊べる 郊外に広がる大自然 1年を通して豊富なイベントがある バレエとアートの町 日本海の向こうの極東ロシアの町というと、極寒というイメージもあるが、地図をみると北緯43度に位置し、北海道の小樽とほぼ同緯度であることがわかる。 7つ目の「バレエとアートの町」という点では、バレエやオペラの有名劇場があり、日本人のダンサーも所属していること、さらに、ウラジオストクが日本のバレエ会と歴史的につなが…

Read more

community ja

日系(ニッケイ)—をめぐって

第8回 ウラジオストク、日系の足跡

今年2月にはじまったロシアのウクライナ侵攻によって、日本とロシアの関係が悪化したことで、日ロの歴史にまつわる地や人々は複雑な思いをしているのではないか。このほど、北陸の海岸線を取材旅行した際にふと思った。 旅は新潟市からはじまり富山、石川、福井と海岸線を車で走った。途中能登半島も一周し突端の禄剛崎へも足を運んだ。すると「ウラジオストック772キロ」という標識がある。ずいぶんとロシアも近い。 このあと再び西へとすすみ、福井県に入ると間もなく観光名所東尋坊に達する。ここから国道305号で越前海岸を延々と南に下ると敦賀市に入る。日本原子力発電の敦賀発電所1、2号機など原子力施設で知られる敦賀市だが、実はここは戦前はヨーロッパへ繋がる日本からユーラシア大陸への玄関口だった。 30年以上前、私は敦賀と韓国の東海を結ぶフェリー計画を取材した。「原発だけに頼ってはいけない。かつて港町として栄えた敦賀をとりもどそう」といったあつい思いの市民によって計画は進められた。残念ながらそれは実現にいたらなかったのだが、この取材の過程で、多くの日本人と外国人が敦賀を経由して鉄路と海路で行き来していた事実を知った。 調べてみると、敦賀は古代から大陸との交通、交易の拠点であり、兵站基地でもあった。明治45(1912)年には東京(新橋)と敦賀の金ヶ崎駅間に「国際列車」が運行していた。東京から東海道線を西に…

Read more

community ja

日系(ニッケイ)—をめぐって

第7回 横浜の海外移住資料館、リニューアル

移住、ニッケイを知る手掛かりに  移住や移民についての資料を展示しているユニークな存在として知られる「JICA横浜・海外移住資料館」が、このほどリニューアルオープンした。 明治時代から北米、南米に移住した移民の歴史をはじめ、移住先での仕事や生活の実態を紹介した展示の基本はこれまでと同じだが、映像や動画などを利用することでよりわかりやすくなり、また世代を重ねてきた「日系(ニッケイ)」社会のひろがりを考えさせる展示になっている。 横浜港は、明治維新による開国後、海外に開かれた最大の拠点としてそこから多くの日本人が北米、南米などへと向かった移民にゆかりの深い港だ。いまも国際客船のターミナルになっている大さん橋があり、その西には観光スポットの赤レンガ倉庫が見えるが、そのさらに向こうに、海外移住資料館の入るJICA横浜センターのビルがある。 JICA(Japan International Cooperation Agency)は、「独立行政法人国際協力機構法(平成14年)に基づき設立された独立行政法人で、開発途上地域等の経済及び社会の開発若しくは復興又は経済の安定に寄与することを通じて、国際協力の促進並びに我が国及び国際経済社会の健全な発展に資することを目的とする」と、自ら謳っている。 JICAの前身組織の国際協力事業団は、戦後、主に中南米への移住事業に携わっていたこともあり、…

Read more

community ja

日系(ニッケイ)—をめぐって

第6回 ルーツを探して -テキサス・福山編-

日本からアメリカへの移民というと、戦前は西海岸の諸州などでおもに労働者として雇われるというのが一般的だった。しかし、広く全米をみると、まれにだが日本人による入植事業という自営による移民という形もあった。 20世紀のはじめにフロリダ州南部につくられた大和コロニーはそのひとつだが、州単位でみると同じ南部のテキサス州での入植事業がもっとも盛んだった。 日露戦争の前、在ニューヨーク総領事の内田定槌は、テキサス州の米作の将来性を官報などで世に知らしめ、日本人の入植を奨励した。このことは日本の移民関係の雑誌でもとりあげられ、事業意欲のある日本人の資本家や知識人らが、相次いで広大なテキサスに足を踏み入れた。1930年から数年の間にテキサス州内では、50以上の日本人による農業経営がはじまった。 これらの事業のなかでもっともよく知られるのが、ヒューストンの南、ウェブスターでの西原清東、清顕父子が経営する農園だ。また、ヒューストンの東100キロほどのところでは新潟県長岡出身の岸吉松が岸コロニーをつくりあげた。 西原農園や岸コロニーより10年ほど遅れて、メキシコとの国境近くを流れるリオグランデ川の河口近くでも日本人によるコロニーがつくられた。湾岸のまちブラウンズヴィルで、鹿児島県出身の川畑実をリーダーとする7人が協同で経営に乗り出した農園である。 すでにサトウキビ・プランテーションとして整備…

Read more