川井 龍介

(かわい・りゅうすけ)

ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。「大和コロニー『フロリダに日本を残した男たち』」(旬報社)、「『十九の春』を探して」、「122対0の青春」(共に講談社)など著書多数。日系2世の作家、ジョン・オカダ著「No-No Boy」の翻訳を旬報社より出版。

(2016年1月 更新)

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第10回 自分を「父」と呼んだ甥が逝く

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地のとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。互いに実の家族同様の気持ちになるなかで、ある日甥が病を患っているのを知る。遠く日本にいる甥をそしてその母である義妹を励まし、慰めるが……。

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1953年2月×日

美さん、前回の手紙の翌日から当国南部を風靡中(流行っている)のフル—にかかりずっと病院に居ります。医師の話では全快にはなお4、5週間を要するそうです。一時は熱が102度(約39℃)にも上がりました。全く食欲もなく注射と水ばかりで生きて来ました。私は随分、大病をしましたが ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第9回 京都に帰って余生を過ごしたい  

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地のとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。何年にもわたるやりとりのなかから、実の家族同様の気持ちになり、互いに一緒に暮らそうという話もでてくる。だが、障害もまたいろいろある。

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1952年9月14日

美さん

また永らくご無沙汰しました。済まなく思いながらもつい忙しいのと疲れのため、一日一日引き伸ばしとなりました。本月に入ってから台風が2回やって来ました。最初のは時速110マイル、次のは150マイルで来襲しましたが、近くまで来ないで北へそれたので何の被害もありませんでした。

ここ一週間ほどは、ほとんど毎日の降雨で蒸し暑く実に不愉快です。夜はまた蚊が多くて裸体で外には出られません。

シンガーミシンは名が売れているだけこの国でもずっと値が張ります。お隣の花屋さんのミセスもポータブルシンガーを使っています ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第8回 まだなすべき事業がある!

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地のとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。故郷のことを常に心にとめながらひたすら畑仕事に精を出す。「妻子もいないのにそんなに働いてどうする、お前はバカだ」という声も聞くが、「まだなすべき事業がある」と、自分に言い聞かせる。

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1952年○月×日

美さん、あなたに探して頂いた楠田糸子さんも今は森静香さん。あんたと同じ病気で悩んでいられて戦災で無一物になられた上、地震(※1927年3月7日の北丹後地震)で二人の子供は焼死、夫君は同じ病気で五年前に亡くなり止むなく息子の世話になっているとのこと。

私の故郷の滝馬(宮津市)の方ですが、同じ様な境遇の人がいます ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第7回 鏡のない生活

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。気ままさと寂しさが背中合わせの毎日で、農作業を精を出し、かつて見た京都の桜を思い出す。フロリダにいながらいつか南米を旅する夢を抱いているという。

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1951年5月17日

〈やっぱり日本食が〉

美さん、

私は至って壮健です。ここ2週間ほどは、なにもせず夜昼なしで寝通しました。気の弛みと疲労で身体中だるく、半病気状態です。秋作に取り掛かるのにはまだ2か月余りあります。農具の手入れ、家屋の修繕、農園耕転(耕して雑草を取り除くこと)です。

私は自炊しています。食べたい物(日本の物ではありません ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第6回 猫と話し、日本の本を読む

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地のとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。ひとり暮らしのなか、猫たちと話をする。作物は雨でまたやられてしまうが、近所のアメリカ人と助け合って暮らしている。

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1950年12月10日夜

美さん、

今日はサンデー、終日働きました。九時まで床に居て新聞や雑誌を読みました。今日はお隣の花屋さんも見えず、一日中、誰とも話しませんでした。別に寂しいとも思いません。

こんな時、猫相手にお話しする事もあります。今5匹いますが一番歳をとったスヰーティーは私の言うことをよく解します。私の一言一言にニャウウニャウウとお返事をします。中々賢い猫で、私が肉の缶詰を開けた時は缶の中を舌のとどく限りなめまわします。

今夜はかなり寒く、今九時五分ですが ...

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