川井 龍介

(かわい・りゅうすけ)

ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。『大和コロニー「フロリダに日本を残した男たち」』(旬報社)、『「十九の春」を探して』、『122対0の青春』(共に講談社)など著書多数。日系2世の作家、ジョン・オカダ著『No-No Boy』の翻訳を旬報社より出版。『大和コロニー』は、「Yamato Colony: The Pioneers Who Brought Japan to Florida」として、University Press of Floridaより英語版が出版。

(2018年3月 更新)

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第37回 地獄の門一つ手前で助かる

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。土地寄付の記事が新聞に出たため、アメリカ国内だけでなく日本からも含めて百通近くの手紙が来たが、そのほとんどが「金の無心だ」と呆れる。体が自由に動かないといいながらもトラクターに乗ることもあるようだが、あるとき溝にはまって転倒し投げ出された。「地獄の門一つ手前で助かった」という。

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〈もう本は送るな〉

1975年1月

玲さん(姪)、お手紙や本を沢山ありがとう。この本は新刊だろう、読んだあとがない。殆どが自己批判だ。私には何の興味もない。読書は唯一の慰め ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第36回 最後の生き残りになった

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1973年11月、87歳になってだいぶ体のあちこちが痛むなど不調を訴えている。少し歩くのがやっとのようだ。農作業も難しくなってきたから注文した種は送らなくていいという。新しいトレーラーハウスを購入、湖水を見下ろす丘の上に据えた。近くに住む古くからの同胞が亡くなり、とうとう昔からの日本人はひとりになった。

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〈長生きするには歳を忘れる事〉

1973年11月13日

岡本家、三濱家の皆さん

この度は結構なお祝いを頂きお礼の申しようもありません。私は相変らず半身不随(下半身)な上、心臓や胃腸が悪く静養して居ります。先日も友達の招待を断り、終日寝転んで過ごしました ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第35回 土地を寄付、将来公園になるという 

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。所有する森林にはさまざま鳥たちが集まってくると満足。アメリカでの植栽事業に意欲を燃やし、檜の苗木を5千本植え、パイナップルの苗は、広い土地にひとりで這いずるようにして植えていったという。地元の郡へ土地を寄付し、それが公園化されることになると報告。一方、日本の故郷にも同様の申し出をしたがなにも返事はなかったと憤る。

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〈昨年5千本の檜を植えた〉

1972年3月1日

玲さん(姪)、お手紙、ありがとう。便りがないので案じていた。何か気に障った事をいったか、聞きたいと思った。

雑誌ガーデンライフ ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第34回 急速な開発、田舎に移りたい

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。回想はますます時を遡り、幼いころ宮津藩の飛脚だったという祖父が語ってくれた話を思い出し、伝える。一方、フロリダの開発は急速に進み、訪れる人はますます増え、まわりの住宅開発も盛ん。自然を好む身としてはもっと田舎へ移りたくなったという。

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〈私のお爺さんは飛脚だった〉

1973年1月×日

玲さん(義妹)、いまハラデー(ホリデー)シーズンで大多忙しだ。手紙、賀状をもらったので、お返しに何か送りたいが ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第33回 自分の墓は自分できめる

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。体の不調や痛みなどを訴えることが多くなった助次だが、日本に種子を注文するなど、畑仕事は断続的につづけている。一時は、なにも読む気力がないといっていたのが、読書欲がでたのか日本に本や雑誌を注文している。例年と違い1972年の誕生日には、だれも祝いに来てくれなかったという。

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〈ちょっとした事でもすぐ息切れして〉

1972年11月13日

玲さん、私は退屈で困って居る。左記の雑誌や本を至急送ってくれ。

「陽気」 毎月
「中心」 毎月
「恍惚の人」有吉佐和子著 ...

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