孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、現在フロリダ州にある「モリカミ博物館・日本庭園」の基礎をつくった人物である。戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。彼が残した手紙から、一世の記録として、その生涯と孤独な望郷の念をたどる。  
  

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第8回 まだなすべき事業がある!

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地のとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。故郷のことを常に心にとめながらひたすら畑仕事に精を出す。「妻子もいないのにそんなに働いてどうする、お前はバカだ」という声も聞くが、「まだなすべき事業がある」と、自分に言い聞かせる。

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1952年○月×日

美さん、あなたに探して頂いた楠田糸子さんも今は森静香さん。あんたと同じ病気で悩んでいられて戦災で無一物になられた上、地震(※1927年3月7日の北丹後地震)で二人の子供は焼死、夫君は同じ病気で五年前に亡くなり止むなく息子の世話になっているとのこと。

私の故郷の滝馬(宮津市)の方ですが、同じ様な境遇の人がいます ...

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第7回 鏡のない生活

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。気ままさと寂しさが背中合わせの毎日で、農作業を精を出し、かつて見た京都の桜を思い出す。フロリダにいながらいつか南米を旅する夢を抱いているという。

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1951年5月17日

〈やっぱり日本食が〉

美さん、

私は至って壮健です。ここ2週間ほどは、なにもせず夜昼なしで寝通しました。気の弛みと疲労で身体中だるく、半病気状態です。秋作に取り掛かるのにはまだ2か月余りあります。農具の手入れ、家屋の修繕、農園耕転(耕して雑草を取り除くこと)です。

私は自炊しています。食べたい物(日本の物ではありません ...

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第6回 猫と話し、日本の本を読む

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地のとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。ひとり暮らしのなか、猫たちと話をする。作物は雨でまたやられてしまうが、近所のアメリカ人と助け合って暮らしている。

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1950年12月10日夜

美さん、

今日はサンデー、終日働きました。九時まで床に居て新聞や雑誌を読みました。今日はお隣の花屋さんも見えず、一日中、誰とも話しませんでした。別に寂しいとも思いません。

こんな時、猫相手にお話しする事もあります。今5匹いますが一番歳をとったスヰーティーは私の言うことをよく解します。私の一言一言にニャウウニャウウとお返事をします。中々賢い猫で、私が肉の缶詰を開けた時は缶の中を舌のとどく限りなめまわします。

今夜はかなり寒く、今九時五分ですが ...

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第5回 一瞬にして資産家になったことも

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。入植してからの日々を振り返り、不幸にも実らなかった婚約者との秘話や、土地バブルで大金を手に入れたことも報告している。

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1950年○月×日

〈盆と正月が一緒に〉              

美さん。

今日は何という吉日か。懐かしい手紙が来て待ちに待った写真も来て、私は盆と正月が一度に来た様な喜びでした。子供さん達は皆、御立派になって御苦心の程がわかります。あなたの若さ、美しさ、全く予想できず、今朝、郵便局で写真を見つめていると、突然「オイ、誰の写真だい ...

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第4回 あなたに会いたい

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地のとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。手紙を通じて家族同様の存在となった彼らに親愛の情を示し、健康への心配、将来のことなど義妹に揺れる気持ちを吐露している。

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1950年○月×日 

今、ちょうど朝の二時、今夜は余り咳も出ず、よく眠れました。御無沙汰をお詫びします。天候は不順続きで先週の金曜日の朝には今冬十回目の降霜がありました。十一回目の寒気は大西洋の気圧の為、途中でうろついています。

私の病状は悪くなり一時肺炎になりはせぬかと心配しましたが、咳も少なくなり、食欲もでてきたので大丈夫と思います。米で育った者はまさかの時はやはり米でないといけません。私は永い間、粥と漬物で過ごしました。漬物といっても茄子とたまねぎを細かくきざみ ...

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