孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、現在フロリダ州にある「モリカミ博物館・日本庭園」の基礎をつくった人物である。戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。彼が残した手紙から、一世の記録として、その生涯と孤独な望郷の念をたどる。  
  

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第33回 自分の墓は自分できめる

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。体の不調や痛みなどを訴えることが多くなった助次だが、日本に種子を注文するなど、畑仕事は断続的につづけている。一時は、なにも読む気力がないといっていたのが、読書欲がでたのか日本に本や雑誌を注文している。例年と違い1972年の誕生日には、だれも祝いに来てくれなかったという。

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〈ちょっとした事でもすぐ息切れして〉

1972年11月13日

玲さん、私は退屈で困って居る。左記の雑誌や本を至急送ってくれ。

「陽気」 毎月
「中心」 毎月
「恍惚の人」有吉佐和子著 ...

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第32回 とうとう一度も帰国しなかった

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。京都で天理教の活動をする義妹の生活を心配しながら見守っている。甘酸っぱくて苦みのあるフロリダのグレープフルーツのすばらしさを自慢。帰る帰るといいながら、これまで一度も日本に帰らなかった自分の人生を振り返っている。

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〈自然を共に生活している〉

1972年5月19日

美さん(義妹)、御手紙ありがとう。家の事に就いてあんたの気持ちはよくわかるが、教会となると莫大な費用を要する。私にはそんな余裕のない事は既にご承知の事だ。あんたが引退されてから、ささやかな隠居所を建てて上げたいと思った。

いまのところ、これ以上何も出来ぬ。私は別に変りはない。自然を友に日を送っている。親しかった友を亡くし寂しい ...

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第31回 日本は戦争には負けたが……

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1972年の1月、グアム島で確認された旧日本軍の軍人、横井庄一のことを知り思いを寄せる。アメリカのヒッピー文化について触れ、若い男性が髪を伸ばし女性のようになっているのに目を見張り、相変わらず日本から野菜の種を送ってもらい畑仕事に精を出す。

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〈注文していた柿の木が日本から届く〉   

1972年1月5日

美さん(義妹)、玲さん(姪)、

お手紙ありがとう。色々心配かけてすまぬ。この冬はまれな暖かさで夏のようだ。足の具合もずっとよく痛みも少し薄らいだ。胃潰瘍も全快、何でも食べられるようになった。

奈良 ...

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第30回 弟も死にとうとう一人に 

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1970年は天候不順で作物は大きな影響をえたという。呼び寄せる予定だった姪の渡米ははっきりしなくなり、弟が死んだという知らせを受ける。すでに他界している妹のことも思い、とうとう自分が最後になってしまったと肩を落とす。

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1970年6月4日

美さん(義妹)、先日、本5冊(同一のもの)を出版所から直接に送りました。着き次第、樋口氏、宮津市、宮津高校、宮津市青年会へ一部ずつ配布して下さい。残りの一冊はあんた方、読んで下さい ...

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第29回 姪の渡米計画に心躍る

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1970年、日本の万国博覧会の成功を遠くで見つめ、渡米前に過ごした京都・京極での思い出を語る。この年は、なにより姪が自分のところへ渡米して来たいという気持を知り、あれこれアドバイスをするなどし実現に向けて心を躍らせる。

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〈寝転んで追憶にふける〉

1970年1月31日

美さん(義妹)、お手紙ありがとう。御心中、お察しします。実はハシカの少しひどい位に思っていたので、余り気にもかけずに居りました。今、世界のあちこちで、はやって居るジャーマンミーズルのように思えます ...

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