Ryusuke Kawai

ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。『大和コロニー「フロリダに日本を残した男たち」』(旬報社)、『「十九の春」を探して』、『122対0の青春』(共に講談社)など著書多数。日系2世の作家、ジョン・オカダ著『No-No Boy』の翻訳を旬報社より出版。『大和コロニー』は、「Yamato Colony: The Pioneers Who Brought Japan to Florida」として、University Press of Floridaより英語版が出版。

(2018年3月 更新)

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第30回 弟も死にとうとう一人に 

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1970年は天候不順で作物は大きな影響をえたという。呼び寄せる予定だった姪の渡米ははっきりしなくなり、弟が死んだという知らせを受ける。すでに他界している妹のことも思い、とうとう自分が最後になってしまったと肩を落とす。

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1970年6月4日

美さん(義妹)、先日、本5冊(同一のもの)を出版所から直接に送りました。着き次第、樋口氏、宮津市、宮津高校、宮津市青年会へ一部ずつ配布して下さい。残りの一冊はあんた方、読んで下さい ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第29回 姪の渡米計画に心躍る

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1970年、日本の万国博覧会の成功を遠くで見つめ、渡米前に過ごした京都・京極での思い出を語る。この年は、なにより姪が自分のところへ渡米して来たいという気持を知り、あれこれアドバイスをするなどし実現に向けて心を躍らせる。

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〈寝転んで追憶にふける〉

1970年1月31日

美さん(義妹)、お手紙ありがとう。御心中、お察しします。実はハシカの少しひどい位に思っていたので、余り気にもかけずに居りました。今、世界のあちこちで、はやって居るジャーマンミーズルのように思えます ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第28回 これまでの文通は数百回 

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。アメリカ生活が長くなったせいか、これまで欲していた日本の書籍をあまり読まなくなったという。農作に失敗し持病がすぐれないことも多いようだ。しかし、農園づくりはあきらめていない。姪の再婚話に親身になって相談にのり、アドバイスをしている。

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〈日本の炬燵を思い出す〉

1969年1月12日

玲さん(姪)、先日はお手紙有難う。久し振りの賀状と便り、意外でした。故国からの音信はほとんど途絶えただ一人の弟さえも忘れがちです。何年経っても生まれ故郷は恋しい。幹男(甥)の疎開は初耳でした ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第27回 夢なき人生は無意味 

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。前年アメリカの市民権を得てなにか一つふっ切れたのか、1968年は、自然に親しみ落ち着いた生活をしていると報告する。その一方で、人生は夢の連続、夢なき人生は無意味と豪語し、数年来打ち込んでいる自分が思い描く農園づくりに励んで必死になっている様子を示している。

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〈宮津の新聞送って〉

1968年1月×日

明ちゃん(姪)、気分は如何だ。宮津へ行った際、市役所か、商業会議所(商工会議所)でいま、宮津で新聞があるか聞いて貰いたい ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第26回 アメリカに帰化、米国籍となる

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1967年末、助次はアメリカの市民権を得た。帰国しようかどうか考え続けていたが、このときは宿願がかなったと喜び、これまで生活できたことはアメリカのおかげだとしみじみ語る。長年の功績をたたえられ、地元デルレイビーチ市からは名誉市民の称号を授与された。

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〈61年前、炎熱と蚊の巣窟〉

1967年5月15日

美さん(義妹)、お手紙ありがとう。こちら、別に変りなし。寝て食って怒ったり、どなったりして日を送って居る。歳のせいか、気が短くなって ...

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