https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/459/
組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)
(英語)マイクロテストの開発は、私がした達成した仕事の中で一番重要なものだったのではないでしょうか。あの頃私は35歳でした、あれ以来私がそれ(マイクロテストの開発)を超える仕事ができていないのはなぜしょう。あれから40年もあって、その間必死に働いたのですが、なぜでしょうね・・・(笑)なぜかあれ以上の功績はあげられていません。歳をとってできないことが若い時にはできるなんて、よくある事、というのは本当のことかもしれませんね。
マイクロテストを開発する5年前、ちょうどイギリスから帰ってきてマイクロテストの開発に取り組み始めた頃ですが、人生でこれほど働いたことはありませんでした。1日18時間働いて、やっとマイクロテストを作ることができたのです。マイクロテストは、移植患者のタイプやHLA1標準化などHLA分野の発展を可能にしました。
例えば、マイクロテストなしでは、世界中で細胞を共有することで(HLAを)標準化することができませんでした。現在マイクロテストはDNA技術に取って代わられましたが、HLA分野で開発初期には重要なものだったのです。(DNAの)知識はあったとしても、すぐにDNA(技術)にこぎつけるのは無理だったと思います。
ですからあれ(マイクロテストの開発)が私の一番の功績だったと感じています。開発するチャンスがあったことを嬉しく思います。
1. HLAとは「human leukocyte antigen(ヒト白血球抗原)」の略語で、白血球の血液型を決定するための、体中の細胞ににある遺伝マーカーです。HLAシステムは、臓器移植や血小板輸血の際に組織適合性を調べるのに使われます。HLAタイプは1万以上の種類に及びます。
日付: 2004年2月10日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: グウェン・ジェンセン
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
1929年生まれのポール・テラサキ氏はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の名誉教授です。組織移植研究の第一人者で、組織タイピング(適合性検査)や臓器移植について世界的に講演を行い続けています。1991年、『History of Transplantation: Thirty-five Recollections (移植の歴史:35の回顧録)』を編集しました。
また、彼と画家としても有名な妻ヒサコ夫人は、日米関係や日系アメリカ人コミュニティに強い関心を持っており、UCLAのアジア系アメリカ人研究センターへ基金を設立し、日系アメリカ人に関する体験や問題点などを研究するために留学してきた日本からの大学院留学生を対象に特別奨学金を提供しています。さらに、UCLAにおける日本研究・日米関係の分野の専門家を育てるため、優れた教育プログラムをサポートするポール・I・テラサキ基金を設けています。 (2004年2月10日)
イナハラ・シャント(英語)
血管外科医(1921年生)
海外のVIP患者を担当(英語)
三世、心臓血管外科医(1925年生)
心臓外科手術の技術革新(英語)
子供の外科手術に対する達成感(英語)
小児患者がプロのバレーボール選手に(英語)
ハワイで医学プログラムをはじめて(英語)
良い助言を受けて (英語)
南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)
サンタ・アニタ強制収容所医療チームへの参加 (英語)
未婚を貫く (英語)
医師免許取得のためトリリンガルになった父 (英語)
一世医師の娘(1928-2016年)
医師の一日 (英語)
日系二世の医師が受けた差別 (英語)
父と手術助手の看護師を見送った日のこと (英語)
父の裁判を知る (英語)
患者の方言を話すことで患者の緊張を解していた父 (英語)