父の裁判を知る (英語)

医師免許取得のためトリリンガルになった父 (英語) 医師の一日 (英語) 日系二世の医師が受けた差別 (英語) 父と手術助手の看護師を見送った日のこと (英語) 父の裁判を知る (英語) 患者の方言を話すことで患者の緊張を解していた父 (英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) 私の自宅には、ジョーダン対タシロ裁判について書いてある教科書があるんです。でも、私はその裁判のことは何も知りませんでした。夫のブルースと結婚するまで、そんな裁判があったことさえ知らなかったのです。私たちが結婚した直後、ブルースがロースクール(法学大学院)に行くことになって、彼の教科書に判例として偶然載っていたのです。「君のお父さんの名前が書いてある。」と彼が言うので、私は、「本当に?どうして?」と言いました。私は、この重大な裁判についてその時初めて知ったのです。私は、その時までそんな話を聞いたことすらありませんでした。まさに、寝耳に水でした。私が生まれたターナー・ストリートには、日本病院と呼ばれる病院がありました。でもそれは、カリフォルニアだから可能だったのです。つまり、カリフォルニア以外のアメリカの土地で、日本人が病院を開くなんて絶対に許されない時代でした。もしその教科書をご覧になりたければ、家のどこかにあると思いますよ。

I*: でも確か、お父様が勝訴したその裁判の重要度は高かったのですよね。

ええ。

*"I" はインタビュア(トム・イケダ)

日付: 2009年9月21日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: トム・イケダ、マルサ・ナカガワ
Contributed by: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

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