ディスカバー・ニッケイ

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小児患者がプロのバレーボール選手に(英語)

(英語)私が誇りに思う、もう1人の小児科患者の男の子は、ファロー四徴症を患っていました。これも非常に珍しい疾患です。実は、この時の手術が、ジョンズ・ホプキンス病院で行われた青色児(先天的心臓疾患または肺臓欠陥による)への最初の手術で、小児心臓外科手術でした。彼は、確か3歳でこの手術を受け、後に世界でトップクラスのバレーボール選手になりました。ハワイの高校、そしてUCLAでも一流選手として活躍し、現在プロ選手として活躍しています。


手術

日付: 2006年5月30日

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: アケミ・キクムラ・ヤノ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

リチャード・タツロウ・マミヤ氏は1925年、ハワイ州ホノルルのカリヒ‐パラマ地域に生まれた日系3世です。4人兄弟の長男であるマミヤ氏は、心臓外科医として高い評価を得ています。ホノルルのセント・ルイス高校ではアメリカンフットボールと野球のスター選手で、ハワイ大学へはアメリカンフットボールの選手として奨学金を受け進学しました。学部生時代に、動物学の教授に医学の道に進むよう勧められ、ミズーリ州のセント・ルイス大学で医学を学びました。ミズーリ州で医学の教鞭をとった後、家族と共にハワイへ戻り、ハワイ大学医学部の創設者の一人として設立に携わりました。1970年にはハワイ初の冠状動脈バイパス手術を行い、当時まだ発展途上であった小児心臓外科手術分野の発達に寄与しました。

1995年、マミヤ氏は外科医療から正式に引退しましたが、自身が立ち上げた2つの財団を通し慈善事業を継続しています。リチャード・T・マミヤ慈善財団(The Richard T. Mamiya Charitable Foundation)は、ハワイ州全土での人道活動や慈善事業の支援に貢献し、ハワイ医学図書館(Hawaiian Medical Library)を拠点とするマミヤ伝承図書館(Mamiya Heritage Library)には、広範囲にわたって集められた現地の医学資料が置かれています。(2007年5月11日)

ポール・テラサキ

提供された腎臓をレシピエントへ輸送するために必要な処置(英語)

組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)

ポール・テラサキ

移植後の患者の経過を調べるための登録システムを作成(英語)

組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)

ポール・テラサキ

組織タイピング(適合性検査)と血液検査を使っての実父確定検査(英語)

組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)

ポール・テラサキ

組織タイピング(適合性検査)に必要なHLA(組織適合抗原)タイプを調べるためのトレイ(英語)

組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)

ポール・テラサキ

HLA(組織適合抗原)タイプと移植史に関する本(英語)

組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)

ポール・テラサキ

最も重要な功績としてマイクロテストの開発 (英語)

組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)

ポール・テラサキ

移植成功率を高めるために必要な継続的な努力(英語)

組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)

トシオ・イナハラ

イナハラ・シャント(英語)

血管外科医(1921年生)

サカエ・シゲカワ

良い助言を受けて (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

サカエ・シゲカワ

サンタ・アニタ強制収容所医療チームへの参加 (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

サカエ・シゲカワ

未婚を貫く (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

医師免許取得のためトリリンガルになった父 (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)

フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

医師の一日 (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)

フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

日系二世の医師が受けた差別 (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)

フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

父と手術助手の看護師を見送った日のこと (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)