ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1363/

真珠湾攻撃後のハワイ生活(英語)

(英語)私は1934年の10月21日に、ホノルルのカピオラニ病院で生まれました。父は18歳くらいのときにここへやってきて、母は、日本の岩国で高校を卒業し、ここでも教育を受けました。

爆撃を受けたのは日曜日で、私は釣りをしていました。しかし対空砲火が見え、白い光だけが広がったのです。誰もが変だと思いました。しかし、日本が真珠湾を攻撃するなんて、誰も信じていなかったのです。

人々は私たちを「ジャップ」と呼び、よく喧嘩が起きました。彼らは異なる地域ごとに小さな群れをなしていました。真珠湾攻撃をきっかけに、そういったものが作られたのです。

みんな窓を黒く塗っていました。そうすると電気を点けたとしてもわからない。門限があったんです。大人たちや近所の人々が家にやってきて、または他の近所の家を訪れると、コーヒーを作ったり、パイなどを出してくれました。夕方や夕食のあとなど。あとはトランプや花札などのカード遊びをしたりもしました。それを覚えています。


門限 ハワイ 音楽家 アメリカ合衆国 第二次世界大戦

日付: 2012年8月

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

78歳。日本、そして世界中のウクレレファンに“Ohta-san(オオタさん)”として知られている。オオタさんはウクレレの名奏者で、ホノルルで第二次世界大戦以前に母親から演奏の仕方を教わる。1960、70年代にウクレレを世に広め、ハワイアン音楽だけでなくインターナショナルなポップやジャズにまでそのレパートリーを広げた。インタビューの中で、オオタさんのキャリアにとって重要であった曲の抜粋を演奏し、そのスタイルの発展をありありと見せてくれる。(2014年6月)

マリオン・ツタカワ・カネモト

真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜索(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

子供の時にみた父の逮捕(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

第2次大戦中の日本での苦難(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

藤間勘須磨

戦中は隣人にホテルビジネスを預け収容所へ (英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

フレッド・ササキ

第二次大戦中の排日感情(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

児玉良一

戦時中に取り上げられた運転手としての仕事

笠戸丸移民

アイコ・ヨシナガ・ハージック

政治権力の欠如が収容所の一因(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

シズコ・カドグチ

東へ移住か渡日かの選択(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

制度化されたシステムの悪影響(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

日系人収容者の取り扱いに対する懸念を表す公文書(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

フランク・ソギ

ハワイ島コナのコミュニティ(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

1941年12月7日の記憶(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)