インタビュー
造園業から園芸場経営へ(英語)
(英語)僕は、庭師見習いとして3日間働きました。どういうことかというと、3人の庭師の友人に1日ずつ付いて仕事を見せてもらいました。3日間の見習いで、即席の庭師になりました。そして、ガーデングローブ園芸場でお客さんを紹介してもらい、週3日、庭師の仕事を始めました。その後、担当する庭が自然に増えていきました。働き始めた当初はすごく怖かったですよ。3日間友人の仕事を見ていただけで、経験は皆無でしたから。
そして、週3日は庭師の仕事を継続し、経費や食費、生活費は賄えるようになりました。残りの4日間は、パンジーの栽培を始めるための庭の掃除や準備に当てました。そんな風に仕事をするようになり、3日間は庭師として、4日間は自分の庭で働きました。そして段階的に栽培を始め、12月にパンジーが開花し、見栄えがするようなパッケージに梱包しました。店に置いてもらうものは花かごに入れました。この仕事が忙しくなってきたので、庭師の仕事は辞めました。庭師を辞めてからは、一度も戻っていません。辞めた後は、パンジーの栽培に集中しました。パンジーを育てている間、儲けを狙って他の植物も育てようとしましたが、うまくいきませんでした。利益が出たのはパンジーだけでした。そしてそのお金で苗床の用具を買い、しだいに園芸場らしくなっていきました。
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第二次世界大戦
日付: 2012年2月2日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター