ディスカバー・ニッケイ

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アイデンティティを決める重要な要素としての日本語 (スペイン語)

(スペイン語)祖父が日本人なので、私は日系三世です。三世代目になるとまた復活するとよくいいますが、それが私のことでしょう。母は以前、一年ぐらい日本に住んでいたことがあるので少しは日本語ができますが、私がちょっと日本語で話してもすべてスペイン語で答えてきます。こうしたことからも、母よりもっと若い世代、すなわち私の方が日本語で祖父のことをもっと知りたいという強い気持ちがあるのです。 母も関心がないわけではないのですが、母はむしろアルゼンチン人としての気質や国民性を身につけることに力を注いだのです。母は、私に日本語を勉強するよう勧めていませんし、私の意思で勉強し始めたのです。


世代 言語 三世

日付: 2006年7月12日

場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス

インタビュアー: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ

提供: アルゼンチン日系センター

語り手のプロフィール

ポーラ・オヨス・ハットリさんは、アルゼンチンブエノスアイレス生まれの日系三世です。ハットリさんは、大学で文学とダンスを専攻しています。彼女の父はアルゼンチン先住民の子孫で、母方の祖父母は日本人、母親は二世です。アルゼンチンと日本にルーツを持つ彼女独特の容姿は、2つの文化が融合された特徴的な雰囲気に包まれています。(2006年7月12日)

マサオ・コダニ

二世にとってのパフォーミング・アーツ(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

山野愛子ジェーン

外国人慣れしてきた日本人(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

田中誠一

三世の太鼓への理解

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

桑港囃子 - 一世の人たちへ捧げる

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

リチャード・コサキ

第2次大戦中の陸軍語学学校での教鞭(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

アート・シバヤマ

ペルーへの帰国が不可能ゆえに英語を習得(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

キミ・ワカバヤシ

移住初期のカナダでの生活 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

ミツオ・イトウ

日本語学校 (英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

ロイ・ヒラバヤシ

学校と家で学んだ日本語(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

フランク・ソギ

日本語学校に通ったこと(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

日系アメリカ人として持つ日本に対する親近感(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

外間良広

移住当初、言葉で苦労

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

高木一臣

スペイン語の学習(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

バート・ナカノ

打ちのめされた誇り (英語)

政治活動家 (1928-2003年)

クリフォード・ウエダ

日本語学校(英語)

政治活動家 (1917 - 2004)