ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/656/

地元新聞紙による日系人への誤った解釈に対しての十代の頃の記憶(英語)

(英語) 確か1937年頃だったと思いますが、僕らは住んでいた近隣エリアごとに、今でいうギャンググループを結成していたんですね。当時僕らはまだ10代前半で、メンバーは10歳から13歳位でした。そしてそれぞれの地区ごとに、ギャングは自分達の小さい縄張りを持っていたんです。電力会社の裏には空き地があって、地滑りで傾斜した土地がそのままになっていたんですね。そしてたくさんのギャンググループから15人から30人くらいのメンバーがその場所に集まって来て、パチンコ玉を飛ばすゲームで一戦を交えていたんです。そしたらある日、シアトルPI誌の記者がやって来て僕らの写真を撮って行ったんですね。僕らは、「すごいぞ。俺たちのことが新聞に載るんだ。」なんて思っていたら結局、新聞の見出しには、『日本は小さい子供たちを訓練し、未来の兵士に仕立て上げようとしている。』というようなことが書いてあったんです。そういう記事を書かれれば、実際に起こっているがどう(世の中から)解釈されているか分かってきますね。


差別 対人関係

日付: 1997年7月25日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: ラリー・ハシマ、スティーブン・フギタ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

ジーン・アクツ氏は、1925年にワシントン州シアトルで生まれた、日系二世の男性です。戦前の幼少時代をシアトルの日本街で過ごしますが、(戦争が始まると)ワシントン州ピュウアラップの集合センターおよびアイダホ州ミニドカの収容所へ収容されました。徴兵を拒否したため、ワシントン州マクニール島の刑務所に徴兵拒否の罪で入れられ、(出所後は)シアトルに再び腰を落ち着けました。(1997年7月25日)

アルフレド・カトウ

日本人に対するステレオタイプ: 昔と今(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

ジョージ・カツミ・ユザワ

JACLの全米書記マイク・マサオカの1942年のスピーチへの反応(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

戦中のニューヨーク市での最初の印象(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

真珠湾攻撃後の近所の同情(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

PJ・ヒラバヤシ

子供のころ体験した差別(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

オーシャンパークでの唯一の日系人家族(英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

映画制作で行った小細工(英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

終わることを知らない人種差別 (英語)

作家(1934年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

藤間勘須磨

日本ではアメリカ人として、アメリカでは日本人として踊る (英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

政治権力の欠如が収容所の一因(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

ニューヨーク市の日本人に対する戦争ヒステリア(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ジャック・ハージック

人種ゆえにより説得力を持った証言(英語)

元米国陸軍対敵諜報部将校(1922-2005)