ディスカバー・ニッケイ

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優等生ではなかった(英語)

(英語)変に思うかもしれませんが、私は決して優等生ではありませんでした。学校に興味がなかったという理由もあると思います。中学生か高校生のころから、良い成績を取るための勉強は十分していましたが、優等生になることに興味はなかったのです。なので、勉強には専念しませんでした。言い換えれば、学校ではいつも同じ成績を取っていました。高校生の時は、おそらく成績の大体がBで、たまにAがあるくらいでした。それからカレッジへ進学し、成績は大体B、たまにA。上手に成績を取るために一生懸命勉強しましたが、勉強自体に意欲はわきませんでした。私は学校を卒業して、仕事をしたかったのです。


教育 法律 弁護士 (lawyers) 学校

日付: 2014年7月2日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 加藤 さくら

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

カリフォルニア州サンタマリアで生まれる。アツシ・ウォーレス・タシマ判事は、日系アメリカ人としては始めて、アジア系アメリカ人としては3人目の連邦控訴裁判官となった。タシマ氏は移民の一世のもとに生まれ、幼少期の3年間をアリゾナ州ポストンにある強制収容所で過ごす。タシマ氏が1958年にハーバード大学法科大学院に入学したとき、ハーバードにいたアジア系アメリカ人は4名だけであった。その後も、タシマ氏は連邦判事として34年の長い経歴をリードし続けてきた。1980年、カーター大統領によってカリフォルニアの中心地区連邦地方裁判所判事に任命。合衆国連邦地方裁判所に15年務めた後、クリントン大統領がタシマ氏を、ウエストコーストの九つの州を管轄する第九巡回区連邦控訴裁判所に昇進させた。2004年、タシマ氏はシニアの地位となり、現在カリフォルニア州パサデナにある第9巡回パサデナ裁判所にて判事を務めている。(2014年8月)

キャサリン・ドイ・トッド

JABAの設立:裁判官への任命(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

キャサリン・ドイ・トッド

J・アンソニー・クラインからの連絡(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

キャサリン・ドイ・トッド

日米文化会館との関わり(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

キャサリン・ドイ・トッド

控訴裁判所での仕事(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

テリー・ジャンゼン

日本で育ったこと(英語)

(1930年生)アメリカと日本両国で育った日本人とアメリカ人とのハーフ

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

文化人類学から法学への転向(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士