ディスカバー・ニッケイ

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法廷で一番の席(英語)

(英語)法科学生1年のころ、ボストンの地方裁判所(旧スカレー・スクエア・コート・ハウス)で、大変有名な事件の裁判が行われました。私のグループはそれを見に行くため、何日かの休みを取ってスカレー・クスエアまでの地下鉄に乗り、傍聴席に座りました。裁判はたったの3、4日間でした。当時の裁判は短かったのです。

裁判はメインの上院議員オーウェン・ブリュースターが、ボストン・ヘラル・トラベラーを名誉棄損で訴えるというものでした。ボストン・ヘラル・トラベラーが、彼が収賄をしたなどで非難したためです。そうしてこの事件は裁判となり、有名な弁護士がボストン・トラベラーの弁護をしていました。名前はジェームス・セント・クレア。10年後に、ニクソン大統領の弾劾裁判弁護士になった人物です。

とにかく、私たちは裁判を見に行きました。私には、判事の座るライトアップされた席が、法廷で一番の席に見えたのです。そこにはチャールズ・ウィザンスキという名前の小柄な男性がいました。彼は大変高い評判を持つ素晴らしい判事でした。彼が法廷を操っていることは明白でした。それがとても印象的で、「私の仕事はこれだ」と思ったのです。

法科学校の一年生の時点で、そう考えたのです。とはいえそこから色々ありましたが。なんにせよ、それが「連邦判事になるのが良いだろう」と思った最初の出来事です。


アメリカ ボストン スカリー・スクエア チャールズ・ウィザンスキ ジェームズ・D・セント・クレア 合衆国連邦地方裁判所 マサチューセッツ州 法律

日付: 2014年7月2日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 加藤 さくら

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

カリフォルニア州サンタマリアで生まれる。アツシ・ウォーレス・タシマ判事は、日系アメリカ人としては始めて、アジア系アメリカ人としては3人目の連邦控訴裁判官となった。タシマ氏は移民の一世のもとに生まれ、幼少期の3年間をアリゾナ州ポストンにある強制収容所で過ごす。タシマ氏が1958年にハーバード大学法科大学院に入学したとき、ハーバードにいたアジア系アメリカ人は4名だけであった。その後も、タシマ氏は連邦判事として34年の長い経歴をリードし続けてきた。1980年、カーター大統領によってカリフォルニアの中心地区連邦地方裁判所判事に任命。合衆国連邦地方裁判所に15年務めた後、クリントン大統領がタシマ氏を、ウエストコーストの九つの州を管轄する第九巡回区連邦控訴裁判所に昇進させた。2004年、タシマ氏はシニアの地位となり、現在カリフォルニア州パサデナにある第9巡回パサデナ裁判所にて判事を務めている。(2014年8月)

サブリナ・シズエ・マケナ

法律への最初の興味

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。