ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。
(2021年11月 更新)
この執筆者によるストーリー
番外編: 森上助次を撮影したカメラマン・諏訪徹 — 庭園の仕事から国際的なフォトジャーナリストに — その1
2020年10月23日 • 川井 龍介
フロリダに「森上ミュージアム・日本庭園」として、「森上(Morikami)」の名を残した京都府出身の森上助次(ジョージ・モリカミ)の晩年の姿を写真におさめたのが、当時パームビーチ・ポスト紙のカメラマンだった諏訪徹(スワ・アキラ)氏だった。1960年代、諏訪さんもまた、夢を描いてアメリカにわたった一人。渡米後にプロのカメラマンとなってアメリカ国内をはじめ世界をめぐってきた諏訪さんについてご紹介したい。 * * * * * 堀江謙一や小田実に感化され 諏訪さんは、最…
最終回 夢と孤独と望郷と‐森上助次の人生
2020年9月25日 • 川井 龍介
20世紀のはじめ、アメリカのフロリダ州に日本人による入植事業があったことはあまり知られていない。「大和コロニー」と呼ばれた“日本人村”が生まれ、パイナップルや野菜作りが行われた。しかし厳しい自然条件や地価の高騰などで、コロニーは戦前に解体し、ほとんどの入植者は去っていった。 そのなかで最後まで現地にとどまり、取得した広大な土地を地元に寄付したことで、その名を現地に残した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、生涯独身で質素な暮らしをつづけ、日本に一度も帰…
第39回 すごい人だった、伯父助次
2020年9月11日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹、岡本みつゑさん一家にあてて膨大な数の手紙を送り続けた。これまでその手紙を紹介しながら助次の半生をたどってみたが、この手紙は、みつゑさんの二女で助次の姪にあたる三濱明子さんが長年保管してきたものだった。京都府木津川市に住む明子さんに、手紙をあらためて読み直してもらい、伯父の助次についてきいてみた。 * * * * * 〈一度…
第38回 アメリカに来て70年、長い夢だった
2020年8月14日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。さまざまな病をかかえ、体調を崩しながらもアメリカに来てから70年目を迎えたことや、数えで90歳となったことに感慨を覚え、故郷を去って以来一度も会わず先に逝った父母や兄弟のことを思い涙ぐむ。その一方でこれまでの年月を振りかえり、「何もできなかった」、「長い夢にすぎなかった」と嘆息する。 * * *…
第37回 地獄の門一つ手前で助かる
2020年7月24日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。土地寄付の記事が新聞に出たため、アメリカ国内だけでなく日本からも含めて百通近くの手紙が来たが、そのほとんどが「金の無心だ」と呆れる。体が自由に動かないといいながらもトラクターに乗ることもあるようだが、あるとき溝にはまって転倒し投げ出された。「地獄の門一つ手前で助かった」という。 * * * * …
第36回 最後の生き残りになった
2020年7月10日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1973年11月、87歳になってだいぶ体のあちこちが痛むなど不調を訴えている。少し歩くのがやっとのようだ。農作業も難しくなってきたから注文した種は送らなくていいという。新しいトレーラーハウスを購入、湖水を見下ろす丘の上に据えた。近くに住む古くからの同胞が亡くなり、とうとう昔からの日本人はひとりにな…
第35回 土地を寄付、将来公園になるという
2020年6月26日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。所有する森林にはさまざま鳥たちが集まってくると満足。アメリカでの植栽事業に意欲を燃やし、檜の苗木を5千本植え、パイナップルの苗は、広い土地にひとりで這いずるようにして植えていったという。地元の郡へ土地を寄付し、それが公園化されることになると報告。一方、日本の故郷にも同様の申し出をしたがなにも返事は…
第34回 急速な開発、田舎に移りたい
2020年6月12日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。回想はますます時を遡り、幼いころ宮津藩の飛脚だったという祖父が語ってくれた話を思い出し、伝える。一方、フロリダの開発は急速に進み、訪れる人はますます増え、まわりの住宅開発も盛ん。自然を好む身としてはもっと田舎へ移りたくなったという。 * * * * * 〈私のお爺さんは飛脚だった〉 1973…
第33回 自分の墓は自分できめる
2020年5月22日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。体の不調や痛みなどを訴えることが多くなった助次だが、日本に種子を注文するなど、畑仕事は断続的につづけている。一時は、なにも読む気力がないといっていたのが、読書欲がでたのか日本に本や雑誌を注文している。例年と違い1972年の誕生日には、だれも祝いに来てくれなかったという。 * * * * * 〈…
第32回 とうとう一度も帰国しなかった
2020年5月8日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。京都で天理教の活動をする義妹の生活を心配しながら見守っている。甘酸っぱくて苦みのあるフロリダのグレープフルーツのすばらしさを自慢。帰る帰るといいながら、これまで一度も日本に帰らなかった自分の人生を振り返っている。 * * * * * 〈自然を共に生活している〉 1972年5月19日 美さん…