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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第34回 急速な開発、田舎に移りたい

1974年当時、『パームビーチ・ポスト』紙に紹介された森上助次の人生と生活(写真撮影はAkira Suwa)

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。回想はますます時を遡り、幼いころ宮津藩の飛脚だったという祖父が語ってくれた話を思い出し、伝える。一方、フロリダの開発は急速に進み、訪れる人はますます増え、まわりの住宅開発も盛ん。自然を好む身としてはもっと田舎へ移りたくなったという。

* * * * *

〈私のお爺さんは飛脚だった〉

1973年1月×日

玲さん(義妹)、いまハラデー(ホリデー)シーズンで大多忙しだ。手紙、賀状をもらったので、お返しに何か送りたいが、こちらの物はほとんど日本へ行っているし、値も安い。果物は送れないし、裁縫の本や雑誌はもう用はない。

先達て久し振り日本の婦人雑誌を見ておどろいた。何もかもこちら以上だ。今日は少し冷える。今月は寒いとの事だ。元日にはお雑煮はなかった。色々な御馳走で満腹、終日寝転んで過ごした。

一時案じた息切れは殆どよくなったが、今は足が腫れて靴もはけぬ。夜になると、ズキズキ痛んでくる。足の事で思い出すのはお爺さんの事だ。お爺さんは冬になると脚気に悩んだ。脚がピカピカするほど腫れあがった。指で押すとぽかんと穴があいた。

夜になると、いろりの側に寝転び、私が揉み役だった。なにも駄賃は貰えなかったが、面白い昔話しを聞かしてくれた。お爺さんは話し上手で東海道五十三次の話を面白く話してくれた。箱根峠で狼の群れに襲われたり、大井川の渡しで雲助とケンカしたという。夜道で迷子になったり遠州の秋葉山に登った。何度聞いても面白いので眠いのを我慢して揉んだ。富士山も二回登った。八合目から上は急になって、いつも砂がザラザラすべっていたという。

お爺さんは若い頃、宮津藩で飛脚役を務め、絶えず京都・江戸間を往復した。長身で鼻は高く色白で中々好男子だったらしい。おばあさまは小柄で優しい人だった。私は誰より好きだった。私が子供の頃、画をかくのが好きだったので、町へ行ったお土産は駄菓子でなく、紙や本や赤や青のインキだった。

今日は少し冷える。寒くなるらしい。昨日、町へ買い物に行った。私のドライブは不安なので隣の人にドライブして貰った。大変な人出だった。住宅もドンドン建って行くが、五年、十年のうちに今居る処が市の中心になるかも知れぬ。

幹男(甥)たちから美しい賀状と本が来た。久し振りにじっくり読んでいる。今日はこれだけ。また書く。

(追伸)

「謎の空飛ぶ円盤」に私は大変関心を持っている。雑誌があれば一部送ってくれ。
「日本人の先祖」(斎藤忠著、講談社発行)を送ってくれ。あんたまだ読んでいないなら、読んでからでいい。店になかったら古いものでもよい。それから東海道五十三次の画(カード式で英訳付き)があったら一組送ってくれ。二、三枚持っているが、私は大好きだ。


〈住宅がどんどん建っていく〉

1973年1月×日

玲さん、去る12月23日、インポートパミット(輸入許可書)を送った。一ヵ月近いが種子も来ず、何の便りもない。如何したのか、不審に思って居る。

ずっと涼しくなった。北からの避寒客で雑踏を極めており、昨年は175万人ほどが訪れた。今年は300万人を超えるだろう。

住宅はどしどし建つ。私の農園の近くだけでも既に1千軒建ったが、今年中には3千軒以上になる。この調子では五年、十年後には市の中心になろう。売り払って静かな田舎に移りたい。昨日、久し振りにタウンへ行った。

キャナダ近くから友が来た。リンゴを土産に、幸い二匹の子犬も大喜び。亡きアリス(かつての婚約者?)の記念に庭先に植えた松樹が三尺余り延びた。

今日、明子達から年賀状が来た。忙しくて書く暇がなかったという。私の気分はさして変わりはない。寒いと足が腫れて困る。食欲は上々。久し振りによい正月をした。あちこちでフルーが流行っているので用心してくれ。


〈私はみじめな生活はしていない〉

1973年1月22日

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玲さん、お手紙ありがとう。種子はまだ着かぬ。少し長引くようだが、手紙よりは少し長くなる。私はあんたが想像されるようなみじめな生活はしていない。ただ立派な家に住み、美しいカーを乗り回さんだけの事だ。私は何でも喰うが滋養になるからというて、嫌いな物まで無理して喰わぬ。

食欲がなければお茶漬だけで過す日もあれば、一听一ドル五十セントの肉をペロリ平らげる時もある。食事も決まった時間はない。腹が空いた時に喰らった。日に三回の時もあれば、6回の時もある。モロモロの腹具合一つだ。

足腰が立たぬのは不治の病、医者にも見てもらわなければ薬も飲まぬ。自然の成り行きに任せている。孤独は寂しくもあるが、現状に満足している。○○さんから新年状が来た。忙しくて書く暇がなかったので、来ぬだろうと思って居たので一寸、意外だった。

丹波辺りの田舎、特に山家の百姓は柿が沢山あって、吊るし柿や串柿を沢山自家用に作った。子供の頃は田舎の親類へ行くと何より楽しみだった。私の農園にも80本ほど植わっている。ここ一、二年の間には沢山、実が採れれば、吊るし柿を沢山作りたいと思う。

こちらは暑からず寒からずで極楽だ。昨年175万人の避寒客も今年は300万人の予定だ。住宅もどんどん建っていくが、近くにもここ三ヵ月ばかりの間に千軒近く建った。今年中には少なくても三、四千軒建つとの事だ。寝室二間の立派なので一万五千弗位で買える。これに比べると日本は高すぎる。


〈町もハイウェーも車で混雑だ〉

1973年2月4日

玲さん、しばらくご無沙汰、お元気ですか。玲さん、約束の雑誌5冊、今日パーセルポストで送った。航空便でないから着くのに1ヵ月くらいかかる、果たして気にいるか、如何か。よかったら次のを送る。年4回、季節に添うて発行される。

こちらは寒い。いま朝の1時半近くだが、かなり冷たい。ここ二、三日のうちに以前のよりずっとひどいのがやって来るとの予報だ。今、半死半生の作物はこれで全滅となるかも知れん。これを機会に思い留まるか、それともまたコツコツ初めからやるか、見通しは何ともいえぬ。天災には勝てぬ。あきらめるより外ない。

玲さんは生花の方は如何か。アメリカでは婦人間で、大流行で当地でもあの三堀さんの細君が先生で、ますます発展している。三堀さんは数年前、雇い主のグライムス氏と日本を訪問された際、あんた達と逢ってもらった人だ。

細君は元カブキのダンサーで長身、明眸、中々の美人だ。最近の新聞にこの記事が載っていたのでこの切り抜きと雑誌を一緒に送った。前にも言ったように私はほとんど日本の雑誌も新聞も読んでいない。

あれほど好きだった読書すら嫌いになった。というのは、趣味が薄らいだようだ。以前は、読んで見たいと思った本も少なくなかったが、今は少なく名さえ忘れてしまい注文も出来ぬ。そのうち、古雑誌でも探し出して・・・。日本人は世界でも一番、読書好き、新聞雑誌も一番多い。あんた達も随分色々なのを読んでいられる事と思う。明子に宮津の新聞の事、頼んだ。

玲さん、あんた、あのジミーアンタフトを覚えているか。あんたに逢って貰ったGIです。二年前、お父さんと来てくれた。私はあんな立派な青年に逢った事がない。大学へ行って居り、その後逢わぬ。ここからそう遠くはない。マイアミへでも行ったついでに、訪ねてみよう。

私は近頃出嫌いになった。足が悪いせいでもあるが、市中は勿論ハイウエーはカーと人間の洪水で危険で全く命がけだ。あんた、カーのドライブできるか。明子は出来る筈だ。写真がある。


〈今の財産は土地から儲けた〉

1973年2月×日

玲さん、依頼のレコード、雑誌見つかり次第送る 二、三の友人に頼んである。一年の間で私の嗜好も大変変わった。あれだけ好きだった映画も十年近く見ない。TVもレディオも飽きた。雑誌や本も少し読むが、寝るのが何よりの楽しみだ。寝転んで空想に耽る。夢もよく見る。若いころ掘立小屋に住んで働いた。希望に満ちていて幸福だった。

あんたは40歳未満、まだ若い。私の年まで47年もある。百までには60年もあり、かなり長い年月だ。思い切って働ける40くらいのとき私は何をしていたか、失敗のどん底に陥り、喰うにも困っていた。

20年かけて築きあげた25万弗の金満家から無一物になった。而して私は楽観も悲観もしなかった。またコツコツ働いた。少し余裕が出来た頃、あの大病に罹った。九死の中一生は得たが不運は続いた。(注:諺の「九死に一生を得る」のもじりか)

戦争が収まった時、困っていた。人の土地の小作をした。幸い少し儲けがあったので無理算段して土地を買った。土地はあとうけで買えた。買ったり売ったり、一時は一千英町近くの土地を持っていた時には土地の税金の支払いにも窮した。土地の値がだんだん上がって来たので、買うのをやめて少し売った。

今、ある財産は土地から儲けたので百姓からではない。州に寄付したり、友達に譲ったり。余りが150英町ある。今は土地ブームで喰うに困らぬ身になった。1英町は日本の4反歩余りだ。

(敬称略)

続く >>

 

© 2020 Ryusuke Kawai

farmer florida issei Sukeji Morikami yamato colony

このシリーズについて

20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、現在フロリダ州にある「モリカミ博物館・日本庭園」の基礎をつくった人物である。戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。彼が残した手紙から、一世の記録として、その生涯と孤独な望郷の念をたどる。