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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第36回 最後の生き残りになった

トレーラーハウス内で、愛犬を抱えてほほえむ助次(© 撮影・提供: Akira Suwa [諏訪徹])

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1973年11月、87歳になってだいぶ体のあちこちが痛むなど不調を訴えている。少し歩くのがやっとのようだ。農作業も難しくなってきたから注文した種は送らなくていいという。新しいトレーラーハウスを購入、湖水を見下ろす丘の上に据えた。近くに住む古くからの同胞が亡くなり、とうとう昔からの日本人はひとりになった。

* * * * *

〈長生きするには歳を忘れる事〉

1973年11月13日

岡本家、三濱家の皆さん

この度は結構なお祝いを頂きお礼の申しようもありません。私は相変らず半身不随(下半身)な上、心臓や胃腸が悪く静養して居ります。先日も友達の招待を断り、終日寝転んで過ごしました。委しい事は玲子を通してお知らせします。

森上


1973年12月4日

美さん(義妹)、お祝い有り難うございました。若い気分で長生きするには歳を忘れる事。今は祝わぬ事にした。今年は稀な寒さで例の持病で足腰立たず寝込みました。

今年もあと僅かになりました。皆さん、丈夫で新年を迎えられる様祈ります。日本からは殆ど便りが来なくなりました。何年、経っても故郷は恋しいものです。京都も寒い事と思います。用心して風邪ひかぬようにしてください。さようなら。


1974年7月13日

玲子さん(姪)、お手紙ありがとう。雑誌も着いた。これでしばらく楽しめる。スナイダーさん(※近くに住む友人)に逢った。お母さんの病気見舞いで帰郷したとの事。お姉さんが世話している。お父さんはない。相変らず朗らかで親切。何時もニコニコ、嫌な顔を見たことない。

タウンの家を二軒買った。一軒に住み、他は貸している。十年近く住んだハウストレーラーも荒れ果てた。新しいのを買った。12呎(フィート)×20呎で四間二間が寝室。キッチンとパーラー、全部、電気仕掛けだ。換気も出来る。日本製のカラーTVもある。価格は税金やその他の費用を含め約1万弗だ。湖水を見下ろす丘の上に据え付けてある。コンクリーの日本の家を建て次第パークの中心、松林の間に移住予定だ。車つきなので何処へでも引っ張って行ける。

昨今、食欲不振で何を食べてもまずい。お茶漬でも喰いたい。何か日本食を食べたいが何もない。好きな巻きすしと牛蒡のキンピラ。熱いお茶で鱈腹食べたいと思う。私は相変わらず全身不随でいる。熱湯の外は何も無効だ。苦痛に耐える外ない。私はこれまでも病んだが、今度程苦しんだ事はない。最近両腕が痛む。肩から指先までシクシクし、時々は字も書けず、夜も眠れぬ。寝たきり一歩前である。寝たきりの老婦人を見てシミジミと感じた。全く悲惨である。お母さんにも明子さんにも書かぬので、廻してくれ。新聞の切り抜きを送った。


〈ドイツ人の友人が亡くなった〉

1974年8月10日

玲さん、お手紙や珍しい品、ありがとう。早速ご飯をたき、インスタントスープと熱いお茶で鱈腹、御馳走になった。一ヶ月ばかり前、ドイツ人の親友がガンで死んだ。細君は今、ドイツへ行っている。行く前に死んだ夫の衣類や靴や色々な物を形見として持って来てくれた。

先週、また一人の旧友が突然死んだ。若い頃のガールフレンドだ。引退してタウンに住んでいた。夫君は好人物、一人息子は文房具屋で成功し、幸福に暮らしていた。私が不自由をしているので心配して絶えず電話かけたり、やって来た。私は病気の為、葬式にも行けなかった。オハイオ州クリーブランドに住む弟が細君同伴で来た。私の模様は、死んだ姉から聞いていたので、病人向けの食物を沢山持って来てくれた。一日、夫婦そろって家の掃除してくれた。きれいになった。

今の私は何の欲得もない。こうした親切が何よりうれしい。全快したらこのお返しはしたいと思う。こちらは引き続き降雨でうっとうしい。どこもかしこも草茫々だ。京都は如何、暑かろう。今は猫も杓子も借金してまでも避暑に出かける。あんたもまだなら二、三週間、出かけては。教室もあるし友達もあろう。日本はお金がありあまっているとか。宗教界は別世界だ。資金不足なら知らせてくれ。すぐ送る。遠慮はいらぬ。

この国もゴボー(牛蒡)は北部で少し作っている。南部フロリダでは葉は茂るが、根は太らぬ。暑すぎるためだ。私の容態は相変わらず足腰が少し好いと手が悪くなる。手がよくなると、足腰が悪くなる。今のまま、医薬品はいらぬ。


〈避寒地だから夏は静かだ〉

1974年9月12日

玲さん、お手紙ありがとう。本も雑誌もうけ取った。今の私には何よりの慰安、感謝の外ない。あんたは近頃、変な事を言う。束縛され、金もなく、暇もないし自由もないと言う。

昔の奴隷のようだということか。私には何の事か想像もつかぬ。誰にも人に言えぬ事がある。私は何も詮索もせぬ。ただなんでも私が出来る事なら手伝う。今日は久し振りに足の具合が少し良かった。腰は変わらない。

家から300尺の郵便箱まで往復した。杖ついてヨチヨチ歩き、数回腰を下ろして休んだ。無理と知りつつやってのけた。病気は休んでばかりいるとよくならん。苦しくても毎日運動がいる。

世界一の避寒地も夏は却って静かだ。海岸も日本の海岸のような雑踏はなく、土地の人は皆、山へ山へと行く。私も山は恋しい。ここ十年は・・・。食欲が少しでてきた。白菜は沢山作るが、日本のとは違った細長いのだ。ゴボー(牛蒡)も北部で、自家用で作るが南部フロリダでは根が太らぬ。気候の為だ。

お母さんからも手紙が来た。皆、丈夫で何よりだ。また書く。


〈公園寄付の記事が日本の新聞に〉

1974年12月×日

玲さん、御手紙や雑誌有り難う。家の事、思ったより込み入って居て驚いた。よくも悪くも忘れるより外ない。広い京都だ、借家は沢山あろう。思い切って移転してみたらどうだろう。米治(弟)の遺稿は次便で返す。重要な書類を紛失してはならぬ。コピーを作った上、レジスターメールで送る。受け取ったら銀行で保管するがよい。

ここ数週間、申し分ない天候だったが、急に寒くなり、日中60度、夜間40度前後だ。寒さに弱い私は、夜は電気毛布にくるまって寝る。明子からハガキが来た。相変わらず呑気な性分で、全く羨ましい。

去る5日には二人の友人からデナーに招待された。昼と夜とだ。寒さの為か手足が動かず痛むが、辛抱して字だけは書ける。昨今、隣近所は皆留守勝ちなので、でかけて行けぬ。用事は止むなく手紙で弁ずるより外ない。

私の公園寄付の記事が全国の日本の新聞に出ているのには驚いた。

50名近い未知の人達から手紙が来た。種々雑多なものだ。ほとんどが米国人からで、同胞で心から喜んでくれたのはあんた丈だ。今日はサンデー、友人に手伝って貰って店へ行った。何もかも役立んので、思い切って白米、白ブレッド、砂糖、生肉とさらに玄米、生野菜、生果物、鮮魚等を買った。

美さん、キャンデーは何よりの好物、喰い過ぎる恐れがあるので近所の子供達に分けてやった。皆大喜びだ。奈良や伏見辺りは今年、柿が不作との事、こちらもダメだ。こちらは思ったより不景気で、仕事不足の為金回りが悪い。

一時盛んだった住宅ブームも今は殆んど立ち消えた。半建てのままの家があちこちに見える。日本の東京はどうだ。新聞や雑誌の記事は余り当てにならぬ。読み物がなくなった。古本あさりも尽きた。面倒だろうが、次の本を送って貰いたい。野菜の種子もたのむ。金は二、三日中に送る。銀行へ行けぬ。

   「大地の母第1部」
   「梅花一輪」(出口和明著)
   「立春の光」
   「野の若竹」
 「日本帝国の興亡」
   「死の島々」
   「神風吹かす」
   「物語アイヌのくらし」(西辻一郎著)

あんたまだ読んでいないなら読んだうえ、送ってくれ。急ぐとこはない。皆一緒に送らなくてもよい。私の事は心配無用。苦しみもだんだん馴れる。まだまだ倒れぬ。

今、丁度12時15分だ。2時過ぎにはメールマンが来るのですぐ投函する、歩くと10分くらい。日本も寒かろう。風邪ひくな。


〈私が最後の生き残りになった〉

1974年12月28日

玲子さん、急に手の具合が悪くなり何も出来なくなった。字だけは書けるが……。先に注文したタキイの種子が出ていないなら注文全部取り消して貰いたい。今の調子では折角来ても蒔く事も出来ぬ。

今のところ気候は申し分ないが、例年より少し寒い。湿気と寒さ何よりの禁物だ。先日この地方で最も古い同胞が死んだ。これでなにやら私が最後の生き残りとなった。

今年は最悪の年だった。病気はするし、親友(白人)三人をなくした。京都辺りも寒いと言うが気をつけて風邪をひかぬようにしてくれ。年賀状は出さぬ。あんたら丈夫で新年を迎えてくれ。好きな雑煮を思い出す。腹一杯食べられたらと思う。クリスマスは気分がよくなかったので招待は皆断ったが、三人からターキーデナーを貰った。腹は大丈夫だ。心配無用。

(敬称略)

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© 2020 Ryusuke Kawai

farmer florida issei Sukeji Morikami yamato colony

このシリーズについて

20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、現在フロリダ州にある「モリカミ博物館・日本庭園」の基礎をつくった人物である。戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。彼が残した手紙から、一世の記録として、その生涯と孤独な望郷の念をたどる。