ディスカバー・ニッケイ

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技術的な側面を超える『気持ち』 (スペイン語)

(スペイン語)エイサーの踊りはどこに行っても同じなのです。どの支部も同じ踊りを踊るからです。しかし、[別の場所で]伝わって行くことによって微妙に変化していきます。重要なのはそれぞれの支部が特徴をいかすということです。例えば、ブラジル支部はとにかくメンバーが多いのです。アルゼンチンのはとても洗練された支部なのです。 ペルー支部に関しては、踊りに気持ちがこもっていると良く言われます。それは、公演の際にみられる意欲とかに現れています。だから、「気持ち」も良いのですが、もう少し技術的な部分も改善しなくてはいけません。 ということで、思っているような完璧な踊りにはならないのです。その意欲と情熱、喜びと厳粛さは、確かに踊っている若者達から伝わってきます。まあ、だから観客も感銘するのでしょう。


ダンス エイサー 民俗舞踊 沖縄 ペルー

日付: 2007年9月14日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: ハルミ・ナコ

提供: ペルー日系人協会 (APJ)

語り手のプロフィール

アキラ・ワタナベ・オサダ氏は、1974年10月6日、ペルー共和国リマ市に生まれました。3世で、祖父母は福島県出身です。 現在、電子技師として働くかたわら、琉球国祭り太鼓ペルー支部の支部長を務めています。琉球国祭り太鼓ペルー支部は、ペルー日本人移民100周年記念事業の後の1999年に創設された団体です。沖縄の伝統芸能エイサーを普及することを目的としています。 琉球国祭り太鼓ペルー支部はペルー国内でも多数の公演を行っています。1999年の100周年記念事業の際や2006年のペルー沖縄県民移民100周年にも参加しています。 (2007年9月14日)

ベナンシオ・シンキ

日本人移住地に対する仕打ち (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

日本語学校での偏見 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

戦時中身を隠していた父 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

同胞の援助と協力 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

日本式の教育 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

日本語学校の閉鎖と日本人の強制送還 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ジョージ・アベ

太鼓を極限まで追及 (英語)

太鼓・尺八奏者(1944生)

ドリス・モロミサト

日系人のペルー社会への融合 (スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ドリス・モロミサト

第二次大戦のコミュニティ形成への影響(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ドリス・モロミサト

私は日本人、ペルー人・・・私は誰?(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ドリス・モロミサト

日系アイデンティティ(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ドリス・モロミサト

謝罪の必要性(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ドリス・モロミサト

沖縄系の顔をした日本人移民(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ドリス・モロミサト

親善大使(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ドリス・モロミサト

親善大使としての役割(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)