ディスカバー・ニッケイ

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親善大使としての役割(スペイン語)

(スペイン語)2006年に親善大使になれたことを嬉しく思っています。後から知ったのですが、ペルーから要請したのではなく、私の活動を評価して地元新聞や大学の推薦等があって沖縄からペルーに要請されたものだったのです。そして、私は日系団体に、親善大使という役割について会合を開き、みんなで議論し、考えることが重要だと提案したのです。ただ自分のコミュニティー内で自分たちの文化について話すのではなく、外部との接触を強調したのです。親善大使とは、自分のコミュニティーのことを紹介し、誇りを持ってそれを他のところで、社会全体にアピールすることが大きな仕事だと思っています。


親善大使 日本 沖縄県 ペルー

日付: 2008年2月26日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: ハルミ・ナコ

提供: ペルー日系人協会 (APJ)

語り手のプロフィール

ドリス・モロミサト・ミアサト氏は、1962年ペルー、リマの農村部であるチャンバラで生まれました。法学と政治学の学位を取得し、国立サンマルコス大学を卒業しました。

ミアサト氏は、詩集、『Morada donde la luna perdió su palidez』(1988年)、『Chambala era un camino』(1999年)、『Diario de la mujer es ponja』(2004年)、『Paisaje Terrestre』(2007年)を出版し、2006年には、書籍、『沖縄 : ペルーにての1世紀』を出版しました。ミアサト氏の詩やショート・ストーリー、エッセイ、記事は、様々な選集に収められており、多言語に翻訳されています。

ミアサト氏は、自らをエコロジスト、フェミニスト、仏教徒であると語ります。2006年、沖縄県は、ミアサト氏を親善大使に任命しました。最近では、ディスカバー・ニッケイ・ウェブサイトのコラムニストも務め、2005年からは、「Cámara Peruana del Libro」の文化担当としてブックフェアを開催してきました。(2008年2月26日)

アート・シバヤマ

ペルーでの子供時代(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

日系ペルー人ゆえに拒否された賠償金(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アルフレド・カトウ

アイデンティティ: 日本人 vs. ペルー人(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

アルフレド・カトウ

日系コミュニティーにとってのペルー新報(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

アルフレド・カトウ

第2次大戦中、山中の小さな村へ避難(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

アルフレド・カトウ

戦後リマでの体験談(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

ベナンシオ・シンキ

アメリカ大陸へ (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

幼年期の記憶:日本人1、日本人2 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

日本人移住地に対する仕打ち (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

日本語学校での偏見 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

戦時中身を隠していた父 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

同胞の援助と協力 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

日本式の教育 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

日本語学校の閉鎖と日本人の強制送還 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)