ディスカバー・ニッケイ

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ペルー支部祭り太鼓のはじまり (スペイン語)

(スペイン語) 1999年のペルー日本人移民100周年記念事業の時、多くの若者に声がかけられ400人ぐらいのメンバーでエイサーを踊りました。これは祭り太鼓の振り付けです。沖縄の本部からもメンバーが参加していました。本部から我々のペルー支部へ話があり、我々はとても感激して、その誘いに喜んで承諾したのです。 100周年記念のために設立した初期のグループは、ペルー沖縄県人会のイニシアチブによって発足するのです。この団体の考えは、記念事業の際多くの人でエイサーを踊るということでした。そのため、もっとも大変な部分を背負ったのです。若者に声をかけ、知人等を通じて口コミで「招集」をかけたのです。その後、日系人コミュニティの新聞等を通じて呼びかけをしました。少しずつ人数も増え、はじめは100名ぐらいだったのですが、手応えがあっためそのうちに200人、300人、そして最終的には420名が集まったのです。99年4月のことでした。 記念事業への参加も終えた後に沖縄本部からお誘いがあったのですが、記念事業後どのようにグループを運営するのか、どのように組織化し、どのように稽古を継続するのかが課題になりましたが、同年の9月24日正式にペルー支部としてスタートしたのです。


ダンス ペルー 文化 日本 沖縄県 祭り太鼓

日付: 2007年9月14日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: ハルミ・ナコ

提供: ペルー日系人協会 (APJ)

語り手のプロフィール

アキラ・ワタナベ・オサダ氏は、1974年10月6日、ペルー共和国リマ市に生まれました。3世で、祖父母は福島県出身です。 現在、電子技師として働くかたわら、琉球国祭り太鼓ペルー支部の支部長を務めています。琉球国祭り太鼓ペルー支部は、ペルー日本人移民100周年記念事業の後の1999年に創設された団体です。沖縄の伝統芸能エイサーを普及することを目的としています。 琉球国祭り太鼓ペルー支部はペルー国内でも多数の公演を行っています。1999年の100周年記念事業の際や2006年のペルー沖縄県民移民100周年にも参加しています。 (2007年9月14日)

山野愛子ジェーン

日本文化の伝統を保存(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

ウェイン・ヨコヤマ

唯一の日本文化:食べ物(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

ウェイン・ヨコヤマ

余所者(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

田中誠一

三世の太鼓への理解

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

ノスケ・アキヤマ

太鼓を通しての日本文化の再発見

サンフランシスコ太鼓道場の太鼓奏者・獅子舞

アート・シバヤマ

ペルーでの子供時代(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

日系ペルー人ゆえに拒否された賠償金(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ロジャー・シモムラ

日系アメリカ人コミュニティの生活(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

フランク・ヤマサキ

戦後の再出発と日本的要素の否定(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

アルフレド・カトウ

アイデンティティ: 日本人 vs. ペルー人(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

アルフレド・カトウ

日系コミュニティーにとってのペルー新報(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

アルフレド・カトウ

第2次大戦中、山中の小さな村へ避難(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

アルフレド・カトウ

戦後リマでの体験談(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家