ディスカバー・ニッケイ

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1942年10月の妹の死(英語)

I*:妹さんが亡くなったのは、確か1942年10月でしたよね。ユザワさんは、その時既にアマチ収容所(別名グラナダ収容所としても知られる)に居ましたか?それとも、サンタ・アニタ集合センターでしたか?

アマチです。

I:一家がサンタ・アニタへ向かった時、妹さんは療養所に入っていて、一緒ではなかったのですよね?

そうです。

I:結核を患っていたのですね?

ええ。

I:一家の強制収容は、妹さんの病状に影響したとお考えですか?

もちろんです。家族で妹を看病することができたのに、施設では妹を気にしてくれる人なんて誰もいなかったんじゃないでしょうか。

I:妹さんが亡くなったことを知った時、それは予測していたことだったのでしょうか?ご家族は、妹さんが亡くなる覚悟はできていたのですか?

いいえ。

I:妹さんの死は、ご家族やご両親にどういった影響を与えましたか?

私たちはその時、グラナダ収容所に居ました。父は気丈に振舞っていました。母は…母は、泣き崩れました。

* "I"はインタビュアー(ダニエル・H・イノウエ)


家族 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2006年3月2日

場所: 米国、ニューヨーク州

インタビュアー: ダニエル・H・イノウエ

提供: Asian/ Pacific/ American Studies Program and Institute, Department of Social and Cultural Analysis, New York University.

語り手のプロフィール

ジョージ・カツミ・ユザワ氏は1915年カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれました。彼と彼の家族は1942年にコロラド州のアマチ収容所へ収容されました。1943年にユザワ氏はニューヨーク市へ転住、彼の家族も1944年に合流しました。その後、アメリカ陸軍へ志願し、2年間陸軍情報部に従事しました。除隊後はニューヨーク市で輸出業を営んでいましたが、彼の父の園芸業を助けるため自らのビジネスを廃業しました

1970-80年代にかけて、ユザワ氏は米国日系人市民協会ニューヨーク支部にて公民権運動に積極的に参加しました。ビジネスや公共交通機関の前に日本人を侮辱するサインを掲げた人々に対して訴訟を起こし、さらには高田賢三(Kenzo)論争やILGWU(国際婦人服労働組合)による地下鉄の反日ポスターキャンペーンでは先鋒をきって抗議しました。これらのキャンペーンの結果、二世活動家たちと共にAsian Americans for Fair Media, Inc.を立ち上げました。また、彼は賠償金運動にも積極的に参加し、1981年にニューヨーク市で行われたCWRIC(戦時中の民間人転住と収容 に関する委員会)の公聴会を実現させました。

ユザワ氏はブルックリン植物園での第1回桜祭りを開催し、さらには老人に対し住居や介護をバイリンガルで提供するために、非営利団体JAHFA(日系高齢者援護会)を設立しました。20世紀の第4半期はコミュニティの老人のニーズに応えるため尽力を注いでいます。

2011年10月、ユザワ氏はなくなりました。(2011年10月)

マーガレット・クロイワ

第二次世界大戦中の収容所(英語)

一世医師の娘

グレース・アイコ・ナカムラ

収容所でラリーが椅子をデザイン(英語)

カーデザイナー、ラリー・シノダの姉

ペギー・ニシムラ・ベイン

ツールレイクからミニドカ収容所への移動(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

ロイ・ヒラバヤシ

家族で日本の伝統的お正月をお祝い(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ロジャー・シモムラ

戦中の体験を尋ねたときの父の否定的反応(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

フランク・ヤマサキ

ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

藤間勘須磨

戦中は隣人にホテルビジネスを預け収容所へ (英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

パット・アダチ

スロカン日系カナダ人収容所での家族生活(英語)

第2次大戦中の収容経験あり。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー(1920年生)

スー・エンブリー

若かりし頃の視点 (英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

制度化されたシステムの悪影響(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

フランク・ソギ

日本の親戚を訪問(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

エンセン・井上

家紋を探る(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

トシオ・イナハラ

家族構成(英語)

血管外科医(1921年生)