日系ペルー人の終わらない戦後 その3: ペルー政府を許すことが出来ない: 親川八重さん

その2 >>
4歳の時に家族と共にペルーからアメリカへ渡った中松さんと違い、第二次大戦中、親川八重さんは既に結婚して夫の経営するリマの市内のマーケットを 手伝っていた。親川さんは1918年沖縄生まれ。結婚相手の暮らすペルーに渡り、数年が経っていた。夫が連行されたのは昼休みのことだった。突然ドアを ノックする音がして、夫と夫の兄の名前が呼ばれた。そのまま警察署に連れて行かれ、二度と家に戻ることはなかった。
夫が消えてもペルー政府からは何の連絡もなかった。「残された家族はそれはもう心配した。でも、多分アメリカに連れて行かれたのだろうと想像はして いた。ペルーの新聞もアメリカと結託していたのか、消えた日本人について記事にすることはなかった。私には子供がいなかったので店の仕事に専念することができた。それでも、ペルーの役人が店にやって来て、売上金を全部持ち去った ...