ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/828/

アメリカナイズされた価値観

3年ぐらい前に、初めて主人を連れて行ったんです、日本にね。で、あの、ほんの小さなことですけど、例えば、私の主人がお茶を入れるポットの横に座ってたんですね。私からしてみたら、ただのコンビニエンス(便利さ)で、ハズバンド (主人)に「お茶を入れてよ」って言ったんです。彼は喜んでシューとかってやって。で、横で見てる母やら母(弟)のお嫁さんがもう半泣きのようになって、「(ご主人に)そんなことをさせて」とかって。私にとっては、近くにいるからやればいいじゃないって。それで、「あっ」て思いましたよね。で、今度、弟のお嫁さんがシェル(殻)付きのオイスターをごちそうするって。で、マーケットで買ってきて、一人でキッチンで手袋はめて、こう一生懸命カシャカシャカシャカシャって。で、私それ見てて、「デイビッドにやらせて」って、ハズバンドにね。こういうのはすごくたいへんだから、かわいそうだからって。もうお嫁さんが、「もう義姉さん、お願いだからやめて下さい」とかって。デイビッドは日本語が分からないから、キョロキョロキョロキョロしてるけど、(私は義妹に)「こんなたいへんな事は男がやる仕事でしょ」って。私の家族がめちゃくちゃコンサーバティブなのかもしれないけども、ああいうことは日本の古い家庭でやっちゃいけないのかしらって。時代が少しずつ変わってきてくれたらいいなと思ってるんです。あまりにもこれは男がやる、女がやるんじゃなくて、やれる人がやったらいいじゃないんですかって。それは私の母親には、あまり通用しないですね。


アメリカ化 同化 文化 アイデンティティ アメリカ合衆国

日付: 2007年3月1日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

松原由美氏は岐阜県岐阜市出身です。日本の保守的な家庭に育ったという松原氏は、1992年3月末、親に内緒で英語上達の目的にて渡米しました。英語学校へ数ヶ月通った後、日本の短大で美術を専攻していたこともあり、ロサンゼルスのFashion Institute of Design & Merchandising(FIDM)へ進学し、ファッションを学びました。1994年にFIDM卒業後、ファッション関連の企業へ就職しました。

この頃より、少しづつアメリカ永住を考えるようになり、就職先の会社からグリンカード(アメリカ永住権)をサポートしてもらうことになりました。しかし、1999年会社が経営不振に陥り、永住権を取得する前に退社。永住権のことなどもあり、同年11月その頃知り合ったアメリカ人男性との結婚を2週間で決意しました。2001年5月、念願のグリンカードを取得し、2006年12月にアメリカ市民権を取得しました。現在も、ロサンゼルスにてファッション関係のビジネスに携わり、グレーダー1やスペックライター2として活躍しています。 (2007年3月1日)

1.グレーダー: 標準サイズのパターンをもとに、各種のサイズに展開させるための型紙製作を専門的に行う職業。
2.スペックライター: 各商品の詳細(デザイン、サイズ、細かい仕様など)の標準値を表に記す作業を専門的に行う職業。

ミシェル・ヤマシロ

ペルー系沖縄人としての両親のアイデンティティ(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

沖縄文化の理解(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

本州の人々の沖縄人に対する偏見(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

共感する米国的な価値観(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

詩を通して自分を表現(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ファン・アルベルト・松本

エスコバールについて(スペイン語)

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。