ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1637/

祖父が大好きだった曽祖父アラカキの話 (英語)

(英語)祖母方のアラカキ家の曽祖父が本土出身で大卒だったことは、私の祖父が教えてくれました。1910年、20年代の話ですね。早稲田か東大かはわかりませんが、今でもそうですが、当時は一流の名門大学でした。高学歴だった曽祖父は、当時の日本政府とは当然異なる政治思想を持ち、日本を離れてペルーに渡りました。とても興味深い話ですね。曽祖父はペルーのコミュニティにとても愛され、尊敬されていて、ペルー政府が曽祖父を誘拐しようとした時、コミュニティは彼を匿いました。その時曽祖父は、(米国の)クリスタル・シティに渡り、大学かコミュニティで教えるつもりだったようです。コミュニティの人々は、曽祖父が政府に連行されてしまうことがないよううまく匿いました。そして彼は、秘密の夜間学校で日本語や歴史を教えたそうです。この話はとても興味深いので、祖父はいつも私に話してくれました。


コミュニティ クリスタルシティ収容所 司法省管轄の抑留所 家族 祖父 祖父母 日系ペルー人 移住 (migration) 沖縄県系 両親 ペルー テキサス アメリカ合衆国 大学 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2018年8月30日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: シャーロン・ヤマト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

(日本語)カリフォルニア州ガーデナ育ち。両親は、ペルーの日系および沖縄系コミュニティで育ち、後に米国へ移住したリマ出身の移民。こうした多様な背景を持つヤマシロさんは、これまでさまざまな文化的伝統が混ざり合う環境に触れてきた。北米沖縄県人会に所属し、沖縄とペルーを訪れた経験がある。教員免許を取得したが、ガーデナバレー日系文化センター(GVJCI)での活動機会を得て、非営利の仕事に転向し、GVJCIおよび北米沖縄県人会でボランティア活動をしている。(2018年8月)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所での最初の印象 (英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

甥との対話から生まれた小説 (英語)

作家(1934年生)

ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

日本軍に包囲されたときのメリル・マラウダー部隊の状況(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所の話ではなく人間ドラマ(英語)

作家(1934年生)

上杉 武夫

米国で最初に訪れた庭園(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

本郷悦男

渡米の理由

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

アート・シバヤマ

ペルーでの子供時代(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

モニカ・小木曽

アルゼンチンへ移住してきた家族背景(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

アート・シバヤマ

真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

ペルーから連行中のアメリカの輸送船の状況(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

日系ペルー人ゆえに拒否された賠償金(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家