ディスカバー・ニッケイ

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姉妹4人が国際結婚

姉が二人、で、妹が一人。で、私と4人アメリカに住むことになってしまいました。

あの長女がですね、結婚しまして、そしてなんていうかな・・・その頃はあまり、国際結婚っていうか、そういう例が少なかったでしょ?だからよく母親が涙こぼすんですね。うん。それを私も見てるから、まさか私もアメリカに来るとは考えてもみなかったんですけれども、どういうわけか縁があって、来ました。一緒に来たわけじゃないんです。一人づつ、ちょうどいい人が、と出会って、二人白人で二人黒人なんです。うん、ちょっとまぁ珍しいと思うんですけども。一人はウイスコンシン、一人はニューヨーク、二人がカリフォルニアです。

私の父母はあまり人を差別する人じゃなかったんですね。だから、どの子供も皆フレンドリーでいろんなお友達もいますし、多分半分は横浜生まれなんですね。そのせいかもしれませんけど、あまり小さいときから、偏見がなかったように思います。そういうところで、親が差別しないということは誇りに思いますね。


花嫁 結婚 移住 (migration) 戦争花嫁 妻たち

日付: 2015年2月6日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 田中 泉

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1937年、横浜で10人兄弟の5番目として生まれる。戦時中は東京の郊外で育ち、民間エンジニアとして米軍基地で働いていた夫のエドワード・E・キャロウェイと結婚。2人の子供が生まれた後、1960年に一家で米国に渡る。サンフランシスコのベイエリアに落ち着き、もう2人子供を授かり、その後ロンポック市に移る。娘2人、息子2人の4人の子供たちは、同市で育つ。1977年にイングルウッド市に引っ越し、以降同市在住。2009年に夫のエドワードが亡くなり、現在は介護の仕事をしている。(2016年5月)

シズコ・カドグチ

家族の反対をおしきりボブと結婚(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

シズコ・カドグチ

東へ移住か渡日かの選択(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

田中誠一

渡米(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

エンセン・井上

渡日の理由(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

ビル・ハシズメ

1954年にカナダへ帰国した理由(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

飯野正子

一世女性とのインタビューを通して感じたこと

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

モニカ・小木曽

アルゼンチンへ移住してきた家族背景(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ビンス・オオタ

日本へ来たきっかけ(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

ビンス・オオタ

在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

ロベルト・ヒロセ

少数の日本人家族と共に育って(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ジョン・ナカ

徴兵回避のためアメリカへ帰国(英語)

日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)

ポーラ・オヨス・ハットリ

祖父のアルゼンチン移住 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

外間良広

日本からアルゼンチンへ

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

高木一臣

日本を離れ、いざアルゼンチンへ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)