ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1497/

姉妹4人が国際結婚

姉が二人、で、妹が一人。で、私と4人アメリカに住むことになってしまいました。

あの長女がですね、結婚しまして、そしてなんていうかな・・・その頃はあまり、国際結婚っていうか、そういう例が少なかったでしょ?だからよく母親が涙こぼすんですね。うん。それを私も見てるから、まさか私もアメリカに来るとは考えてもみなかったんですけれども、どういうわけか縁があって、来ました。一緒に来たわけじゃないんです。一人づつ、ちょうどいい人が、と出会って、二人白人で二人黒人なんです。うん、ちょっとまぁ珍しいと思うんですけども。一人はウイスコンシン、一人はニューヨーク、二人がカリフォルニアです。

私の父母はあまり人を差別する人じゃなかったんですね。だから、どの子供も皆フレンドリーでいろんなお友達もいますし、多分半分は横浜生まれなんですね。そのせいかもしれませんけど、あまり小さいときから、偏見がなかったように思います。そういうところで、親が差別しないということは誇りに思いますね。


花嫁 結婚 移住 (migration) 戦争花嫁 妻たち

日付: 2015年2月6日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 田中 泉

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1937年、横浜で10人兄弟の5番目として生まれる。戦時中は東京の郊外で育ち、民間エンジニアとして米軍基地で働いていた夫のエドワード・E・キャロウェイと結婚。2人の子供が生まれた後、1960年に一家で米国に渡る。サンフランシスコのベイエリアに落ち着き、もう2人子供を授かり、その後ロンポック市に移る。娘2人、息子2人の4人の子供たちは、同市で育つ。1977年にイングルウッド市に引っ越し、以降同市在住。2009年に夫のエドワードが亡くなり、現在は介護の仕事をしている。(2016年5月)

高木一臣

彼をアルゼンチンに留まらせたタンゴ(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

高木一臣

アルゼンチンへの渡航(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

西村 俊治

借金の取立てにうんざりしブラジル移民を決意

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

西村 俊治

渡伯初期の生活

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

エミ・笠松

大戦中の日系パラグアイ人の扱われ方(スペイン語)

二世日系パラグアイ人、研究者

エミ・笠松

パラグアイの最初の日本人移住地 (スペイン語)

二世日系パラグアイ人、研究者

エミ・笠松

日系人のパラグアイ農業へ貢献 (スペイン語)

二世日系パラグアイ人、研究者

松原由美

両親に内緒で渡米

岐阜県出身新一世。 最近アメリカ市民権を取得。

ヘンリー・シミズ

祖母に説得されて帰加した母 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ヘンリー・シミズ

カナダ政府による日本送還への圧力 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ベナンシオ・シンキ

アメリカ大陸へ (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

児玉良一

世界を見るためにブラジルへ

笠戸丸移民

児玉良一

ブラジルへ来る船の中で

笠戸丸移民