https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1495/
一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)
(英語)私は庭園を、アメリカと日本の人々を結ぶ手段にしたいと思い、日米の交流プログラムを展開させてきました。2年前にシアトルで国際会議を開催し、日本からは約30人の造園家を招きました。彼らが米国で仕事をするきっかけになればと思いますし、私の学生たちが日本の造園家から学ぶ機会になればと思います。
日付: 2016年8月10日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ソージン・キム、ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
1940年3月25日、13代続く大阪の庭師の家に生まれる。1962年大阪府立大学旧農学部を卒業後、京都大学大学院に進学。その後、カリフォルニア大学バークレー校に留学し修士号を取得。1969年に帰国し、京都大学で造園学を教える。1970年大阪で開催された日本万国博覧会の庭園設計に貢献。同年カリフォルニアに戻り、州立ポリテクニック大学ポモナ校の環境デザイン学部ランドスケープ学科で教えるかたわら、公共スペースや企業、個人宅の造園を手がけ、伝統的な日本様式に第二次世界大戦後のカリフォルニアの気候やライフスタイルを融合させた。
主な作品に、カリフォルニア州サンマリノのハンティントン図書館にある日本庭園の修復、トーランス・カルチュラル・アーツ・センターのパイン・ウィンド・ガーデンのデザイン、ロサンゼルスのリトル東京の日系アメリカ人文化コミュニティーセンター内ジェームズ・アーバイン・ガーデンのデザインがある。
上杉教授は、2000年に30年間教員として勤めた州立ポリテクニック大学ポモナ校から退職したが、名誉教授として活発に活動を継続した。2010年、長年の貢献が認められ日本政府から瑞宝中綬章を受章。2016年1月、75歳で永眠。(2016年4月)
* このインタビューは、2007年に全米日系人博物館で開催された「Landscaping America: Beyond the Japanese Garden」展のために、学芸員ソージン・キムが行ったものです。
ブラジルでの日本語教育
一世教育者(1911年生)
金の卵を育てる
寿司職人(1962年生)
移住地教育とパラグアイへの思い
パラグアイ駐日大使(1943年生)
最も運に恵まれた一世(英語)
帰米二世(1929年生)
復員兵援護法を利用して博士号を取得(英語)
日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)
朝鮮戦争での戦闘参加を避けるため、ヨーロッパでの任務を希望(英語)
三世のビジネスマン(1935年生)
家族の日系ルーツと価値観 (英語)
日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事
ロードアイランドで直面した住宅差別(英語)
日系アメリカ人デザイナー、教育者、メディアテクノロジー先駆者(1934-2018年)
アメリカ生活への適応(英語)
広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)
舌足らずの話し方を直してくれた先生 (英語)
民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)
民族研究の内情 (英語)
(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者
フットボールのトレーニングのために100ポンドの芝を担いで山を越える (英語)
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)
第2次大戦中の陸軍語学学校での教鞭(英語)
ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)
コミュニティ大学の教師として学んだこと(英語)
日本語学校 (英語)
日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)