インタビュー
補償金について(英語)
(英語)2万ドルが収容所で生き残った人々への補償金額でした。ではこの2万ドルをもらい、1万8千ドルでキャデラックの車を買おう、と言いました。残りの2千ドルは車を海から取り出すのに使おう、と。パシフィック通りをずっと走らせ、パロスベルデスで素潜りさせようかと。でもそれをする前にドアの溝にペイントをしようと思いました。これが4年間で得たもの、と。収容所の4年間で支払われたもの、と。私には今日まで批判や重圧の中にいた友人が多くいるので、彼らに電話して「キャデラックを運転して崖から海に落とす。もちろん新車だ。見たい?」と言いました。そうしたらテレビ局なども来たのです。それでやろうとしてそこを立ち去り、妻にこのことを話しました。うちにはお金があまりありませんでしたから、妻は、「そんなことをしないで。お願い。お金は必要よ」と言ったのです。それで結局諦めたのです。
I*:補償金を欲しくはなかったのですか?
ええ、いや、欲しかったです。しかしそれが意味するものが好きじゃなかった。今お金が支払われたとしても、2万ドルは十分ではありません。借金をしている人々にそれで返済をしなければなりませんから。そのお金を見ることすらありません。ある意味見なかったわけです。借金の返済がありますから。だからそのお金はただ、あるポケットから違うポケットに移っただけのことなのです。
*“I”は、インタビュアー(クリス・コマイ)
日付: 2012年6月29日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター