収容所で姉を失くす(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)姉は白血病になり、入院しなければなりませんでした。亡くなるまでには、長い時間がありました。

病院は収容所の完全な外にあり、フェンスや監視を通り抜けていかねばなりませんでした。だから訪れることができなかったのです。思い起こせば、母はいつもそこにいました。そして父もほとんどそこにいました。そのため私たちは子どもだけで過ごすことが多かったです。それは私よりも妹に影響を与えました。妹には母がいなかったわけですから。彼女はそれを姉のせいにしました。嫉妬というか、競争のようなものだと思います。

ともあれ、姉はしばらくの間病院にいました。彼らが姉の死を伸ばすためにやったことは二つあります。まず輸血です。その棟にいるほぼ全員が輸血しました。そして、教会は姉のために祈ってくれました。そういう話でした。母は、姉がそこまで苦しんでいるとは思わないから祈りはしないと言いましたけど。

母は、(姉の死から)立ち直ることはありませんでした。そう確信しています。父は本当にタフな人間でした。自らがどんな状況にいるかを知っていたのです。それを全く表に出さなかった。自分の威厳や強さが崩れないように保っていたのです。そして、今は進み続けなければならない、と言い続けました。「頑張って」と。父は自分が家族を立て直すことができない、一緒に保つことができないという状態にはありませんでしたが、家族を守ったのです。父は非常に動揺し、怒っていましたが、それを見せることはありませんでした。日本の風習に従わねばならなかったのでしょう。父は自分をしっかり保つために、日本人にならなければならなかったのです。

姉は亡くなった際、火葬しました。多くの人々が埋葬をされたのを知っていましたが、以前姉が、死んだ人たちは廃品置き場に埋められていると言っていたからです。墓標のないお墓ですね。かつてドイツで犠牲者がそうされたような。

 

日付: 2012年6月29日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: クリス・コマイ、ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

family tule lake World War II

最新情報を入手

最新情報メールの配信登録

Journal feed
Events feed
Comments feed

プロジェクトをサポート

ディスカバー・ニッケイ

ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!

サポートの方法>>

プロジェクト企画 全米日系人博物館

主な援助
日本財団