私たちはそれを『ザ・レッド・バロン』と呼ぶことにしました。それか、似たような名前で。それは全てフォン・リヒトホーフェンに関係した話で…、ブラウンは彼を撃墜しようとするカナダ人男性なんです。その話が元となっています。私はエリアルディレクターであり、アートディレクターでした。副プロデユーサーですね。なので基本的に私はロジャーの前にそこへ行ってすべてのシーンの準備をし、ミッション様式の小屋をデザインしたり、スタッフをまとめたりしました。それから映画のストーリボードを書き始めます。ストーリボードは書かなければなりません、なぜなら、全てがミニチュアとカメラに基づいているからです。ジンバルと呼ばれるものにカメラが向けられているのを見下ろします。ジンバルは俳優を配置するモデルです。そしてこうやって見下ろすのです。ファンがついていて、風が吹いているようにしたりします。しかしこういった事柄は全て、コマーシャル作品を作り出す、私の働き方からきているだけです。私はカメラの向きや全てがうまくいっているかを把握するだけなのです。映画のストーリーボードを作ったとき、映画の基本的は部分は作られています。ディレクターはそれにただ続くだけです。俳優たちも。
それからセカンド・ユニット・チームを作りました。ヘリコプターで行きました。しかし、私がヘリコプターで行く前、16、15機の飛行機が飛んでいました。複葉機です。彼らはしっかり合図を送られなければなりません。危険ですから。非常に接近して飛んでいましたからね。そしてトンボ返りなどすれば、煙が出てきます。そしてカメラはそれらを追って行かなければなりません。すべてが指揮されているのです。空中で演出されている。前もってパイロットに話さねばなりません。操縦桿のモデルで。コミュニケーションを取るのです。それで私はラジオでヘリコプターでの指示をしました。それはとても重要な役割でした。どうやったかは聞かないでください。単にやったまでです。本能のままに。本能のままにそれをやって、アクシデントとかは何もなかったです。
日付: 2012年6月29日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: クリス・コマイ、ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター