吉田 純子

(よしだ・じゅんこ)

東京都出身。法政大学法学部を卒業後、渡米。カリフォルニア州立大学チコ校コミュニケーション学部を卒業後、羅府新報社に入社。編集委員としてロサンゼルス、カリフォルニアの政治関連ニュースのほか、南カリフォルニアにおける日系社会の文化、アート、エンターテインメントや日米関係に関する取材活動および記事を執筆している。

(2018年4月 更新)

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「シェフになるまで諦めない」:唐揚げ専門店「ピクニコ」オーナー八木久二子さん

「あなた26歳でシェフになんてなれるわけがない」。元夫が言い放った言葉が彼女の闘志に火をつけた。そして心に誓った。「私は自分が『シェフだ』と言えるようになるまで絶対に諦めない」と。ロサンゼルス・ダウンタウンにある複合施設「RAW DTLA」に昨年12月にオープンした唐揚げ(フライドチキン)専門店「Pikunico(ピクニコ)」。そのオーナーの八木久二子さんは日本では元銀行員。料理などしたこともなかった彼女がアメリカで良き出会いに導かれ、有名店での修業を経て、自らのレストランを開店した。LAで頑張る女性のひとり八木さんにメニューへのこだわりや開店までの経緯など話を聞いた。

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八木さんは2012年末、有名シェフ、デビッド・マイヤー氏とともにセンチュリーシティーにあるモダン ...

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「生きていればまたやり直せる」:パラダイス山火事で被災した小島さん夫妻

新たな地で日本食レストラン再開

「深い暗闇の中に突き落とされたような気分だった。でも振り返っていても仕方がない。生きていればまたやり直せる―」。昨年11月8日にカリフォルニア州北部ビュート郡の町パラダイスで発生した山火事「キャンプファイア(Camp Fire)」。全米最悪規模となったこの山火事で被災した小島智代さん、成朗さん夫妻は、住居と所有していたレンタルハウス、そして経営していた日本食レストランすべてを失った。避難生活を送るなか心機一転、今年3月5日には現在暮らすレッドブラフでレストランを再開。山火事から半年が経過した今、小島さんに山火事後の生活とレストランを再開するまでの経緯を聞いた。

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キャンプファイアは発生から瞬く間に火の手が広がり、11月25日に鎮火が発表されるまでおよそ15万3千エーカー以上を燃え尽くし、犠牲者は85人にのぼった。被災直後、羅府新報のインタビューに応えてくれた小島さん夫妻は現在、パラダイスからおよそ60マイル北上した場所にあるレッドブラフという小さな町で新たな生活を始めている。

山火事発生後、小島さん夫妻はパラダイスの南西に位置する町ウィリアムズのモーテルで15日間生活。その後はトレーラーハウスを購入し ...

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アメリカ本土初の日系移民、若松コロニー入植から150周年

番外編: 「おけい」報じた最初の記事

排日運動の最中、北米最初の日本人移民団の存在伝える

今から150年前の1869年(明治2年)、日本からカリフォルニアにやってきた北米最初の移民団はエルドラド郡ゴールドヒルでアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成した。このシリーズでも最初に紹介したが、その一員で19歳という若さで亡くなった少女おけいはアメリカ本土の土に眠る最初の日本人女性とされている。今回、彼女の存在を1916年に最初に世に知らせた竹田文治郎(雪城)の記事をここに紹介したいと思う。排日運動の波が吹き荒れる当時の日系社会に、おけいと彼ら以前にいた北米最初の日本人移民団の詳細を伝えた記事である。

入植者たちは茶と絹の生産を試みたが若松コロニーはわずか2年で崩壊。その一員でコロニー崩壊後、現地の家族に引きとられたおけいは17歳で会津若松から渡米し1871年に19歳という若さで亡くなった。数奇な運命をたどった彼女はアメリカ本土の土に眠る最初の日本人女性とされ、その墓は今もゴールドヒルの小高い丘の上にある。

彼女の墓は死後、長く知られることはなかった。訪ねる人の姿もなく、ただ小高い丘の上で故郷会津若松の方角を見つめていた。かつてその場所で彼女がそうしていたように ...

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アメリカ本土初の日系移民、若松コロニー入植から150周年

第3回 若松コロニーの末裔たち

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地元女性と結婚した増水国之助、今もカリフォルニアにいる末裔

大工だった増水国之助(1849―1915)は若松コロニーがあった場所の近くの町コロマにとどまり、当時コロマにあったコロマホテルやフレズノ別院の建設にも携わる。

増水の結婚証明書によると、同じくコロナ在住のネイティブアメリカンと黒人の血を引く女性ケリー・ウィルソンと1877年12月28日に結婚した。

大工だけでなく、その後は農家や漁師、魚屋のオーナー、通訳などの仕事をし、日本語と英語のほか数カ国語を話したという。そして66歳で死去しカリフォルニア州コルーサの墓地に埋葬された。

その増水の血を引く末裔が今もカリフォルニアに住んでいる。ストックトン在住のペニー・ユージーン・ギブソンさん(54)と弟のサクラメント在住のアロン・ギブソンさん(50 ...

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アメリカ本土初の日系移民、若松コロニー入植から150周年

第2回 カリフォルニアの大地に眠るおけい

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アメリカ本土で最初に亡くなった日本人の女の子

新天地開拓の夢破れ、入植者たちは若松コロニー崩壊後、日本に帰る者、同地に残る者、それぞれの道をたどった。

跡地は隣人だった農場主ビアキャンプ家が買い取り、その地に残ったのはシュネルの子の子守りだったおけいと元会津藩士の桜井松之助、大工の増水国之助の3人となった。そしておけいと桜井はビアキャンプ家に雇われた。

おけいは会津若松の大工・伊藤文吉とお菊の長女で、渡米前から近くに住むシュネルの子の子守りをしていたという。わずか17歳で親元を離れ、カリフォルニアにやってきたが、若松コロニーは2年で崩壊。シュネル一家は去り、言葉も違う異国に取り残された。だが彼女を引きとったビアキャンプ家はおけいのことを本当の娘のように可愛がったという。

ドイツ系移民で初代ビアキャンプであるフランシス、ルイーサ・ビアキャンプ夫妻には6人の息子がおり、おけいはその幼い子どもの子守りとなった。

「ビアキャンプ夫妻の子どもたちは全員男の子 ...

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