Junko Yoshida

Born and raised in Tokyo, Junko Yoshida studied law at Hosei University and moved to America. After graduating from California State University, Chico, with a degree from the Department of Communication Arts & Science, she started working at the Rafu Shimpo. As an editor, she has been reporting and writing about culture, art, and entertainment within the Nikkei society in Southern California, Japan-U.S. relations, as well as political news in Los Angeles, California. 

Updated April 2018

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「あなたの親切を忘れない」:カー知事没後70周年、日系住民擁護し立ち上がった人々—その4

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家を守ってくれた隣人:メアリー・マッカンバー

フロリン在住の日系3世レスター・オオウチダさんも戦時中、非日系米国人に助けられた一人だ。

オオウチダさん一家も戦時中、強制収容所に送られた。しかし、隣人が留守宅を管理してくれたおかげで、収容所から戻ってきても家はそのままの状態で残され、元の生活に戻ることができた。

「私たちは良い隣人に恵まれ、家を失わずに済みました。メアリー・マッカンバーが守ってくれたのです」

強制収容所に送られる前からオオウチダさん一家と隣人のマック、メアリー・マッカンバー夫妻はとても仲の良い友人だった。特に妻のメアリーさんは毎晩オオウチダさんの家に遊びにきては一緒に団らんを楽しんでいたという。

「夕食の後、メアリーはいつも私たちの家に遊びにきて、夕飯の残ったお米に砂糖とクリームを加えたデザートを作って食べていました」

毎晩オオウチダさん一家の家に遊びにきていた社交的なメアリーさんとは対象的に夫のマックさんはとても良い人だが物静かで ...

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「あなたの親切を忘れない」:カー知事没後70周年、日系住民擁護し立ち上がった人々—その3

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助けられた日系住民、真心の交流

戦時中の立ち退き命令により、多くの日系住民が汗と涙で築き上げた家や土地、仕事など苦労の結晶すべてを失った。

中には収容所に収容されている間、家や土地の管理をかってでる非日系米国人もいた。しかしその多くが無断で土地を売るなどし、強制収容所から戻ってくると、かつてのわが家や土地が他者のものになっているケースも多かった。

カリフォルニアのライス・キングとして知られる故・国府田敬三郎氏もその一人だ。強制収容所に収容されている間、国府田氏は農園の管理を依頼していた非日系米国人に裏切られ、所有していた土地の3分の2と精米所が無断で売り飛ばされ、戦前所有していた広大な土地を失っている。

しかしそんな中でも、日系人が強制収容所に収容されている間、彼らの家や土地を守り続けた非日系米国人がいた。

ここでは日系住民が収容所から帰ってくるまで彼らの土地を守り続けた人たちの一部を紹介したい。排日感情が高まる中、時に同じ非日系米国人から中傷や非難を受けようとも日系住民との約束を守り抜いた人々―。当時子どもだった日系住民が彼らとの真心の交流 ...

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「あなたの親切を忘れない」:カー知事没後70周年、日系住民擁護し立ち上がった人々—その2

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「祖父は自身が育った小さな町で行われていたリンチ(私刑)を見て育ちました。大人たちの間で何か問題が起こると、法廷で争われることなく、有罪か無罪か決められる。町の人々はただその人を有罪と決めつけ、リンチしていたそうです。祖父は子どもの頃、木によじ登り、狂った町の様子を見てきたのです。その時に見た恐ろしい光景から祖父には強い道徳観が芽生え、法曹界を目指し、『人として何が大切か』を考えるようになったといいます」。そう話すのはカー氏の孫で現在南カリフォルニアに住むキット・リンチさんだ(旧姓カー、以下キットさん)。

今回、キットさんがカー氏との思い出、そして彼の信念について語ってくれた。

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秘書に日系女性採用: 収容所から来た ...

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「あなたの親切を忘れない」:カー知事没後70周年、日系住民擁護し立ち上がった人々—その1

正義貫いた勇気ある行動

「彼らを攻撃するなら、まず私を攻撃しなさい」

1941年12月の真珠湾攻撃の後、日本人の血を引く日系住民は敵性外国人とみなされ、差別と偏見の目にさいなまれた。多くの人が彼らに敵意を向ける中、自らを危険にさらしてまでも、迫害に耐え忍ぶ日系住民を擁護し立ち上がった人々がいた。

当時のコロラド州知事ラルフ・ローレンス・カー氏は、街中が狂気にみち溢れる中、州民に対し演説の中でこの冒頭の言葉を述べ、日系住民への差別を直ちに止めるよう呼び掛けたのだった。

一方、カリフォルニア州では、強制収容所に送られた日系住民の家や農園を終戦まで守り続けた非日系米国人たちの姿があった。彼らは非難や中傷を受けても、そして時に銃口を向けられても、日系住民が収容所から戻ってくるまで彼らの家や土地を守りぬいたのだった。

大統領選を控える2020年。今年はカー氏の没後70周年の年でもある。強硬な移民政策が推し進められる今、人種による偏見をものともせず信念を貫いたカー氏を側で見ていた孫の証言 ...

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日系被爆者たちの声、心の傷跡【第2部】:核兵器廃絶訴え、平和への思い次の世代へ

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広島と長崎、原爆犠牲者の追悼法要

「それは美しい夏の日の朝でした。74年前の8月6日、当時7歳だった私は2歳年上の兄とともに、爆心地から約0.6マイル(およそ1キロ)の場所で被爆しました」。小東京の高野山別院で4日に行われた記念法要にゲストスピーカーとして出席していた日系3世のハワード蠣田(かきた)さん(81)は、自らの被爆体験を当地の人々に伝える。核兵器廃絶を訴え、平和への思いを次の世代に語り継ぐ蠣田さんの被爆体験を聞いた。

一家、日米で離ればなれに。両親はポストン強制収容所へ

蠣田さんは1938年、ボイルハイツで生まれた。1940年のはじめ、広島にいた父方の祖父が病気になり ...

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