アメリカ本土初の日系移民、若松コロニー入植から150周年

今から150年前の1869年(明治2年)、会津若松(福島県)から22人の移民団が夢と希望を胸に、カリフォルニア州北部にアメリカ本土初の入植地「若松コロニー」を形成した。150年前にアメリカ本土へと海を渡った先駆者たちの勇気と開拓者精神に思いを馳せ、彼らの歴史をここに振り返り、日米両国にいる彼らの末裔の先祖への思いを紹介する。

*「羅府新報」(2019年1月1日)からの転載。

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番外編: 「おけい」報じた最初の記事

排日運動の最中、北米最初の日本人移民団の存在伝える

今から150年前の1869年(明治2年)、日本からカリフォルニアにやってきた北米最初の移民団はエルドラド郡ゴールドヒルでアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成した。このシリーズでも最初に紹介したが、その一員で19歳という若さで亡くなった少女おけいはアメリカ本土の土に眠る最初の日本人女性とされている。今回、彼女の存在を1916年に最初に世に知らせた竹田文治郎(雪城)の記事をここに紹介したいと思う。排日運動の波が吹き荒れる当時の日系社会に、おけいと彼ら以前にいた北米最初の日本人移民団の詳細を伝えた記事である。

入植者たちは茶と絹の生産を試みたが若松コロニーはわずか2年で崩壊。その一員でコロニー崩壊後、現地の家族に引きとられたおけいは17歳で会津若松から渡米し1871年に19歳という若さで亡くなった。数奇な運命をたどった彼女はアメリカ本土の土に眠る最初の日本人女性とされ、その墓は今もゴールドヒルの小高い丘の上にある。

彼女の墓は死後、長く知られることはなかった。訪ねる人の姿もなく、ただ小高い丘の上で故郷会津若松の方角を見つめていた。かつてその場所で彼女がそうしていたように ...

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第3回 若松コロニーの末裔たち

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地元女性と結婚した増水国之助、今もカリフォルニアにいる末裔

大工だった増水国之助(1849―1915)は若松コロニーがあった場所の近くの町コロマにとどまり、当時コロマにあったコロマホテルやフレズノ別院の建設にも携わる。

増水の結婚証明書によると、同じくコロナ在住のネイティブアメリカンと黒人の血を引く女性ケリー・ウィルソンと1877年12月28日に結婚した。

大工だけでなく、その後は農家や漁師、魚屋のオーナー、通訳などの仕事をし、日本語と英語のほか数カ国語を話したという。そして66歳で死去しカリフォルニア州コルーサの墓地に埋葬された。

その増水の血を引く末裔が今もカリフォルニアに住んでいる。ストックトン在住のペニー・ユージーン・ギブソンさん(54)と弟のサクラメント在住のアロン・ギブソンさん(50 ...

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第2回 カリフォルニアの大地に眠るおけい

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アメリカ本土で最初に亡くなった日本人の女の子

新天地開拓の夢破れ、入植者たちは若松コロニー崩壊後、日本に帰る者、同地に残る者、それぞれの道をたどった。

跡地は隣人だった農場主ビアキャンプ家が買い取り、その地に残ったのはシュネルの子の子守りだったおけいと元会津藩士の桜井松之助、大工の増水国之助の3人となった。そしておけいと桜井はビアキャンプ家に雇われた。

おけいは会津若松の大工・伊藤文吉とお菊の長女で、渡米前から近くに住むシュネルの子の子守りをしていたという。わずか17歳で親元を離れ、カリフォルニアにやってきたが、若松コロニーは2年で崩壊。シュネル一家は去り、言葉も違う異国に取り残された。だが彼女を引きとったビアキャンプ家はおけいのことを本当の娘のように可愛がったという。

ドイツ系移民で初代ビアキャンプであるフランシス、ルイーサ・ビアキャンプ夫妻には6人の息子がおり、おけいはその幼い子どもの子守りとなった。

「ビアキャンプ夫妻の子どもたちは全員男の子 ...

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第1回 夢と希望胸にカリフォルニアに来た先駆者 

海渡り「若松コロニー」形成、日米両国にいる末裔、先祖への思い

小高い丘の上にある小さな墓―。このカリフォルニアの大地に眠るのは、今から150年前、日本から最初にアメリカ本土にやってきた移民団のひとりで、アメリカ本土で最初に亡くなった「日系移民の女の子」の墓だ。彼女の名は伊藤おけい(以下、おけい)。

1869年(明治2年)、夢と希望を胸に会津若松(福島県)からやってきた移民団22人はカリフォルニアにアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成した。彼らは日本からアメリカ本土に渡った最初の入植者だ。プロイセン人の武器商人ヘンリー・シュネル率いるこの移民団は ...

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