ディスカバー・ニッケイ

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アルゼンチンでの初めての仕事(スペイン語)

(スペイン語)アルゼンチンについてからスペイン語を勉強したいと思ったのですが、そのお金もありません。でも、生活するためのお金は必要です。それでスペイン語ができなくてもできる仕事ということで、ある花卉栽培農家を紹介されましたが、30分しか持ちませんでした。温室での仕事は無理だと思い、すぐにまたブエノスアイレス市内に戻りました。幸いにもある、アルゼンチン人が私を雇ってくれて毎日のようにスペイン語を聞いて話すようになりました。当初は多くのヘマもしましたが、工具等を売っていた金物店でマネージャとして採用されたのです。


アルゼンチン 言語 スペイン人

日付: 2007年2月23日

場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス

インタビュアー: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ

提供: アルゼンチン日系センター

語り手のプロフィール

高木一臣氏は、1925年3月27日三重県で生まれ、観光客としてアルゼンチンへ渡り、そのまま現地へ留まりました。高木氏は、ジャーナリズムの職を得て、その後50年以上に渡り、ラジオやグラフィック関係の仕事をしてきました。81歳を迎えた高木氏は、様々な媒体を介した広告に取り組みながら、日本人コミュニティ新聞、『らぷらた報知』のジャーナリストとして熱心に活動を続けています。高木氏は、2014年11月10日、89歳で亡くなりました。(2021年1月)

外間良広

移住当初、言葉で苦労

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

クリフォード・ウエダ

日本語学校(英語)

政治活動家 (1917 - 2004)

ヘンリー・須藤

無我夢中で頑張った戦後

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

天野美代子

日本語とスペイン語両方を使って生活

天野博物館館長 (1929年生)

ジミー・ムラカミ

日本で英語を教える(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

隣人の庭で日本語学校を始めた母(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

ホリー・J・フジエ

日本語を教えるよう圧力を受けた祖父(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事