ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/552/

子供のころ体験した差別(英語)

(英語) 復活祭の日の出来事なのですが、私は学校の友達を復活祭の礼拝に誘ったんです。彼女も「いいね、行こう」と言ったので、母は私を車に乗せて彼女を迎えに家まで行ったんです。私は復活祭用のかわいいドレスを着て、彼女の家に着いて、ドアをノックしたんです。彼女がドアを開けたんですが、普段着のままの格好で、悲しそうな顔をしてたんです。それで私が「一緒に教会に行かないの?」と尋ねると、彼女は「行けないの。お母さんがダメだって言うの」っていうんです。私は「どういうこと?」と聞いたんです。彼女は泣き出して、「ごめんね。うちのお母さんは頭がおかしいのよ。私があなたみたいな日本人と結婚しちゃうんじゃないかって思ってるの」と言ったんです。当時6年生だった私に、どうやってそういうこと全てを消化すればよかったんでしょうか。そして彼女は突然「本当にごめんね。ごめんなさい。行けないの」と言って、ドアを閉めたんです。私はどうにか平常心を取り戻さなくてはって。「ああどうしよう。車に戻らなきゃ」とね。戻ると母は、ジャニスはどこ?と聞くんですよ。だから、私は「病気だって」とだけ言って、教会へ行き、その出来事自体無かったかのようにしていました。


差別 対人関係 人種差別

日付: 2005年1月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

パティ・ジョー(通称PJ)・ヒラバヤシ氏はアメリカで最も著名な女性の太鼓奏者の一人です。北カリフォルニア州で生まれ育った彼女は、カリフォルニア州立大学ヘイワード校へ進学、そこでアジア系アメリカ人運動に参加するようになりました。その後、彼女はカリフォルニア大学バークレイ校へ編入・卒業し、日本へ1年間滞在しました。帰国後はサンノゼ州立大学の修士課程で都市地域計画学部を専攻しました。大学院在籍中はアジア系アメリカ人研究センターの所長代行として働くかたわら、サンノゼの日本町の将来についての修士論文を書きあげました。

1974年1月、創始者の一人としてサンノゼ太鼓を立ち上げました。現在はサンノゼ太鼓の製作監督として活躍しています。アジア系アメリカ人運動から受けた影響を生かし、太鼓演奏だけでなく、太鼓指導、教育、作曲、ツアー、ワークショップ、学校の課外活動プログラムなどを行っています。(2005年1月26日)

ヨンオク・キム

アジア人皆のために(英語)

第二次世界大戦・朝鮮戦争の退役軍人 (1919 - 2006)

サカエ・シゲカワ

強制収容以前に経験したトラウマ (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

サカエ・シゲカワ

「みんな、盲従した」 (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

日系二世の医師が受けた差別 (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)

スミコ・コザワ

戦後の差別の経験 (英語)

花屋 (1916-2016年)

A. ウォーレス・タシマ

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

ジョージ・タケイ

アジア系に対するステレオタイプ(英語)

俳優、活動家(1937年生)

キャロウェイ・久松 照美

サンフランシスコで受けた差別

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

パウロ・イサム・ヒラノ

日本語の理解を深めるにつれ、日本社会に受け入れられる

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

トム・ユキ

日系人の帰還を歓迎しなかったサリナス(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

タカヨ・フィッシャー

戦後の米国で人種的に自分が何者なのか混乱(英語)

日系アメリカ人二世、舞台、映画、テレビ女優 (1932年生)

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士