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日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)
(ポルトガル語)私の名前はアントニオ・シンキチ・シコタ。1962年サンパウロ州カンピナス市に生まれました。両親は日本国籍、父は仙台市、母は宮城県出身です。家ではふたりとも日本語で話していて、日本語を覚えるよう言われていたけれど、私はあまり関心がなかったので、「ブラジルに居るんだから、ポルトガル語に興味あるのが当然だ」と言ってました。(笑)
日付: 2016年10月19日
場所: 日本、群馬県
インタビュアー: 小嶋 茂
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
アントニオ・シンキチ・シコタは1962年9月12日サンパウロ州カンピナス市に日本生まれの両親の元生まれた。友人に誘われ、来日した。工場で働き始め、日本の暮らしにすぐに馴染んだので日本に居ることにした。ブラジル商品を移動販売する会社を立ち上げ、現在は群馬県大泉町に住んでいる。移動販売では、いろいろな商品を、特に日系人の客に直接販売している。大泉町の暮らしが気に入っている。(2018年2月)
日系アメリカ人として持つ日本に対する親近感(英語)
弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)
ひとつの言葉で考え、別の言葉で生活(スペイン語)
日系アルゼンチン人、三世
移住当初、言葉で苦労
沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)
スペイン語の学習(スペイン語)
『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)
日系ブラジル人イメージに対する日本の影響 (ポルトガル語)
ブラジル日本移民史料館館長
日系ブラジル人アイデンティティの変化 (ポルトガル語)
日本語学校(英語)
政治活動家 (1917 - 2004)
無我夢中で頑張った戦後
日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)
日本語とスペイン語両方を使って生活
天野博物館館長 (1929年生)
日本で英語を教える(英語)
(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター
大泉とブラジルの日系コミュニティとの違い
(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。
三か国語を使った沖縄での活動(英語)
ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人
隣人の庭で日本語学校を始めた母(英語)
日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事
日本語を教えるよう圧力を受けた祖父(英語)
戦時中に厳しく規制された外国語教育
サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)