ディスカバー・ニッケイ

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徴兵忌避者の投獄 (英語)

(英語) 63名が公判を受け有罪宣告を受けた後、我々は上告した3人とコンタクトを取りました。上告してから2、3ヶ月程して判決が言い渡されましたが、有罪判決が覆ることはありませんでした。その時判事は、合衆国政府もまた過ちを犯しているということをほのめかす発言をしたのです。判事は、「誤りに誤りを重ねても正しくならない。」と言ったのですが、それは政府にもまた過失があったことを暗示していたのです。そして彼らはさらに上告したのですが、最高裁はそれを棄却しました。 彼らの上訴請求はその時点で行き詰まった訳です。

しかし、1947年にトルーマン大統領は、日系徴兵拒否者の市民権や参政権の全てを回復させ、全員を赦免にしました。とにかく徴兵拒否者たちの受刑態度が模範的だったという理由で、収容期間が短縮されたことを除けば、彼らは27、8ヶ月の全刑期を投獄されたことになります。本来であれば、刑期の3分の1に当たる日数の後、仮釈放されることになっているのですが、当時の戦時転住局(戦時中の日系アメリカ人強制退去・収容に携わった政府機関)のビル・メイヤーズ氏は、彼らを仮釈放させないよう刑務局に請願したのです。メイヤーズ氏は、徴兵拒否者が仮釈放されることで、強制収容所内での志気が下がることを恐れたのです。このことがあって徴兵拒否者は、模範囚として減刑された期間以外は、全刑期を刑務所の中で過ごしたのです。有罪宣告を言い渡された63名のうち、33名の若者がマクニール刑務所へ、年配者はカンザス州のレヴンワース連邦刑務所へ送られました。


公民権 徴兵拒否者 抵抗者 第二次世界大戦

日付: 2006年5月9日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: リサ・イタガキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

フランク・エミ氏は、1916年9月23日、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれました。彼が家族と共に営んできたビジネスは、戦争により廃業に追い込まれ、エミ氏と妻、2人の子供はハートマウンテン強制収容所に送られました。

エミ氏は、多くの人々と共に日系アメリカ人強制収容の合憲性について声高に問いました。また、ハートマウンテン公平委員会の立ち上げに貢献し、徴兵拒否運動を起こし、政府が日系人に対して取った措置に抗議しました。当時、エミ氏には子供がいたため、徴兵対象者ではありませんでした。

公平委員会は、日系人がアメリカ市民権を取り戻し、家族が収容所から解放されれば、喜んで兵役を受け入れると論じました。合衆国政府は、エミ氏と他6名のリーダーを徴兵忌避の共謀罪で訴えました。エミ氏は、18か月投獄され、他86人は裁判を経て徴兵拒否の罪で投獄されました。

戦後、エミ氏や他の徴兵拒否者は、日系人リーダーや退役軍人からつまはじきにされていました。その扱いは、戦後40年経ち、賠償運動が高まり、不正に対して毅然と立ち向かった公平委員会への汚名が晴らされるまで続きました。

フランク・エミ氏は、2010年12月、94歳で亡くなりました。(2010年12月)

マルガリーダ・トミ・渡辺

警察での取り調べ

ブラジル日系移民の母 (1900-1996)

ヘンリー・シミズ

真珠湾攻撃の影響の少なさ (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ヘンリー・シミズ

大戦中のカナダ在住の日本人漁師らの扱い (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ヘンリー・シミズ

大戦中カナダ政府の許可を持って出版した邦字新聞 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ヘンリー・シミズ

大戦中カナダ政府によってサポートされた邦字新聞 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ヘンリー・シミズ

へースティング・パーク収容所から抜け出して (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ヘンリー・シミズ

カナダ政府による日本送還への圧力 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ベナンシオ・シンキ

同胞の援助と協力 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

日本語学校の閉鎖と日本人の強制送還 (スペイン語)

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ジョージ・アベ

出生地のもつ意義に気づいて (英語)

太鼓・尺八奏者(1944生)

スー・エンブリー

制度の中で(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

スー・エンブリー

正義への戦い(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

ビル・ホソカワ

記者の責任 (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

ピーター・アイロンズ

強制収容を知る (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

チエ・トミヒロ

話すことを阻んだ恥の意識 (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長