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Keiko Fukuda

@fukuda

Keiko Fukuda: Oriunda de la prefectura de Oita, egresada de la Universidad Internacional Cristina. Trabajó para una editorial de revista informativa en Tokio. En 1992 viajó a los Estados Unidos y trabajó como jefe de edición en una revista dedicada a la comunidad japonesa durante 11 años. Es freelance desde 2003 y actualmente escribe artículos para revistas focalizándose en entrevistas a personalidades. Publicó junto a otros escritores “Nihon ni Umarete” (nacido en Japón), Editorial Hankyu Communications. Sitio web: https://angeleno.net

Última actualización Julio de 2020


Historias de Este Autor

母国アメリカと戦った日系人たち その2: 国籍を問わずに徴兵、中野学校への命令 -大森馨一さん-

19 de abril de 2008 • Keiko Fukuda

その1 (小野正己さん) >>小野さんに続いて話を聞いたのは、1917年カリフォルニア州ベンチュラ生まれの大森馨一(けいいち)さん。当時の二世の例に漏れず、大森さんも日本で教育を受けるために、10歳で両親の故郷である熊本へ。小学校を卒業して中学から大阪外語へ進学した。蒙古(モンゴル)語を専攻し、昭和15年 (1940年)に卒業し、政府機関に就職。赴任先のモンゴルへ向かった。そこで徴兵され、一旦日本へ帰国、久留米の第一戦車隊に入隊した。将校になるため の幹部候補生だった。 …

母国アメリカと戦った日系人たち その1: 神風特攻隊と米軍兵士を経験—小野正己さん—

13 de abril de 2008 • Keiko Fukuda

第二次大戦時、ヨーロッパで戦績を残した日系人部隊のことはよく知られている。日系人のみで編成された第442連隊は、ヨーロッパ戦線に投入され、 アメリカ合衆国の歴史上、最も多くの勲章を受けている。しかし、日本で教育を受けていた時に徴兵され、母国であるアメリカと戦うことになった日系人もまた数多くいた。名古屋市立大学院で日系米人の日本軍従軍について研究している門池啓史氏の調査によると、その数、実に千人とも二千人とも言われている。 今から3年前、筆者はロサンゼルス近郊に暮らす3人の…

¡mentol! Okinawa en Estados Unidos
第7回 長寿を支える「ヌチグスイ」アメリカへの普及はかる

29 de marzo de 2008 • Keiko Fukuda

沖縄県観光商工部北米委託事務所 当銘由洋 (とうめ・よしひろ) さん / 沖縄生まれ新一世沖縄には「ヌチグスイ」という言葉がある。沖縄の食材を、県からの委託で北米にプロモートしている当銘由洋さんは、「この言葉は、食べるものは健康にいいという沖縄の発想で、中国の『薬食同源』につながります。古くから沖縄の料理は養生食とも言われています」と解説。 当銘さんに、沖縄の人々の長寿を支える代表的な食材を紹介してもらった。 「まず、ゴーヤ。体温を下げる働きがあるため、沖縄の人は夏…

¡mentol! Okinawa en Estados Unidos
第6回 沖縄と本土の気質を融合しアメリカでビジネス展開中

22 de marzo de 2008 • Keiko Fukuda

FAMIMA! CORPORATION エグゼクティブ・バイスプレジデント 糸数剛一 (いとかずごういち) さん / 沖縄生まれの駐在員全米展開を推進している日本生まれのコンビニエンスストア、FAMIMA! の糸数剛一さんは、沖縄ファミリーマートからの派遣駐在員。19年前に沖縄ファミリーマートに入社した当時、20店舗だった県内の出店数をその後200に まで広げた手腕を買われ、アメリカのFAMIMA! を立ち上げるため2007年1月にロサンゼルスに赴任してきた。 「4年ほど…

¡mentol! Okinawa en Estados Unidos
第5回 アメリカ人の心つかんだ沖縄秘伝の空手 

15 de marzo de 2008 • Keiko Fukuda

劉衛流パンアメリカン・チーフインストラクター 新城友弘さん沖縄生まれの新一世沖縄空手の一流派である劉衛流 (りゅうえいりゅう)。1979年から現在まで数千人のアメリカ人に指南してきたのが、劉衛流の南北アメリカの頂点に立つ新城友弘さんだ。 UCサンディエゴ内の道場を訪ねると、黒帯の門弟が6人集まっていた。道場に入る時は「押忍」、練習では「気をつけ」「正座」「先生に礼」といった日本語が用いられる。 新城さんに師事して16年になるオフィラ・バーグマンさんは「5歳の時から日本式…

フォーラム通じ「ウチナーンチュの交流」呼びかける

8 de marzo de 2008 • Keiko Fukuda

2008年3月1日、全米日系博物館のホールに二百名ほどの聴衆が集まった。お目当ては「沖縄出身者のグローバルネットワーク」と題された公開フォーラムだった。 沖縄からの海外移民の背景を説明したのは、琉球大学教授の金城宏幸さん。「経済が困窮していた沖縄に、少しでも多くの海外からの仕送りを得るため、 19世紀末から出稼ぎが目的の移民が促進された。第二次大戦敗戦後は、海外のウチナーンチュコミュニティがまさにライフラインだった。アメリカ、ペルー、アルゼンチンなど各地から、お金だけでな…

日系ペルー人の終わらない戦後 その3: ペルー政府を許すことが出来ない: 親川八重さん

7 de marzo de 2008 • Keiko Fukuda

その2 >>4歳の時に家族と共にペルーからアメリカへ渡った中松さんと違い、第二次大戦中、親川八重さんは既に結婚して夫の経営するリマの市内のマーケットを 手伝っていた。親川さんは1918年沖縄生まれ。結婚相手の暮らすペルーに渡り、数年が経っていた。夫が連行されたのは昼休みのことだった。突然ドアを ノックする音がして、夫と夫の兄の名前が呼ばれた。そのまま警察署に連れて行かれ、二度と家に戻ることはなかった。 夫が消えてもペルー政府からは何の連絡もなかった。「残された家族はそ…

日系ペルー人の終わらない戦後 その2: この国で生きていくのに必死だった: マイク・中松さん

4 de marzo de 2008 • Keiko Fukuda

>> その1カリフォルニア州サウストーランスの自宅で出迎えてくれたマイク・中松さんは1938年のリマ生まれ。沖縄出身の日系2世だ。検眼医を引退した現在 は、夫人のアイコさんと海外旅行するのが楽しみだと話す中松さん。その穏やかな表情から、ペルーからの強制連行と収容所生活、アメリカに残留して家族でゼロからの出発を余儀なくされた過去を読み取ることは難しい。 両親はリマ郊外で食料品店を経営していた。ペルー日系社会での実力者でもあり、日系人が稼いだお金を日本本国へ送金す…

¡mentol! Okinawa en Estados Unidos
第4回 世界のウチナーンチュの動きを知らせる新聞を編集発行

1 de marzo de 2008 • Keiko Fukuda

金城武男さん ハワイ生まれ帰米二世沖縄系移民の動向をまとめた新聞「五大洲」をロサンゼルスで編さんしているのが、発行人の金城武男さんだ。「五大洲」とはアジア、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリア、アメリカの5大陸を指し、世界を意味する。 新聞の名はハワイ移民の先駆者、当山久三の言った「いざ行かん、我らの家は五大州」に由来する。この言葉が表すように、沖縄出身者は全世界に移住し ている。「移民の末裔たちの近況を一目で把握できる媒体がない、であれば自分で編集しなければ」と思っ…

日系ペルー人の終わらない戦後 その1

28 de febrero de 2008 • Keiko Fukuda

第二次大戦中、日系アメリカ人が敵性外国人として見なされ、アメリカ各地の強制収容所に抑留されていた事実を知る人は多い。しかし、中南米の日系人もまた、米国内の収容所に強制連行されていた。私がそのことを知ったのは、NHKの特集番組がきっかけだった。 番組によると、ルーズベルト大統領は国内の日系人だけでなく、中南米在住の日系人も敵性外国人として逮捕することを望んだのだと言う。合衆国大統領の申し出に、メキシコ、ボリビア、コロンビア、コスタリカなど13にのぼる中南米諸国が応じた。米国…