第3回(後編) ターミナル・アイランド
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ターミナル・アイランド生まれ、サンペドロ育ち、和歌山にルーツを持つ日系二世の藤内稔さんは13歳から16歳まで収容所で過ごした。サンタアニータを経由し、コロラド州アマチで終戦を迎えた一家は、1945年9月にロサンゼルスに帰って来た。しかし、藤内さんの故郷、ターミナル・アイランドには何も残されていなかった。日本人同士が再度集まることがないようにと、米国政府がすべての日本人漁師たちの施設を破壊し、撤収したのだ。
職替えを余儀なくされた漁師たち
一世たちは自分の船を持てず、漁業のライセンスも取り上げられた。ターミナル・アイランドで戦前、栄華を極めた日本人漁師たちは、戦後、職替えして庭師になったり、商店に雇われた…